ジャガー・XJR-7とは? わかりやすく解説

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ジャガー・XJR-7

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 05:20 UTC 版)

ジャガー・XJR-7
Jaguar XJR-7
コンストラクター ジャガー
デザイナー リー・ディクストラ
先代 ジャガー・XJR-5
後継 ジャガー・XJR-9
主要諸元
シャシー FRP モノコック
エンジン 6,219 cc V12 NA ミッドシップ
トランスミッション 5速+リバース マニュアル
重量 943 kg
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム Group 44
ドライバー クロード・バロット・レナ
ホイットニー・ガンツ
ハーレイ・ヘイウッド
ジョン・モートン
ブライアン・レッドマン
チップ・ロビンソン
ヴァーン・シュパン
ボブ・トゥッリウス
出走時期 IMSA GT選手権
(1985 - 1988)
初戦 3アワーズ オブ デイトナ
出走 優勝 ポール Fラップ
26 3 0 0
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ジャガー・XJR-7は、1986年のIMSA-GTP参戦用にグループ44が作成したプロトタイプレーシングカーである。1985年最終戦デイトナ3時間でデビューした。ジャガー・XJR-5の改良型であるが、1985年からトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が世界耐久選手権(WEC)参戦のために作成したグループCカーがジャガー・XJR-6を名乗ったため、XJR-7となった。

概要

当時のIMSA-GTPではポルシェ・962が猛威をふるっており、これに対抗したXJR-7だったが、1986年は最終戦デイトナ3時間で1勝を挙げるにとどまった。1987年にはリバーサイド500Kmとウエストパームビーチ3時間で勝利するものの、ジャガー本社は1987年に世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)でタイトルを獲得したTWRを1988年からIMSA-GTPに参戦させることを決定し、グループ44への支援を打ち切った。これはル・マン24時間レース制覇のためにチームの規模を拡大したいTWRの意向によるもので、1988年のル・マン24時間レースにはTWRの3台に加えIMSA-GTP参戦のために結成されたTWR USAが2台のジャガー・XJR-9を走らせることになった。また、1990年のル・マン24時間レースで優勝したジャガー・XJR-12の3号車はTWR USAが走行させたものだった。

1988年開幕戦のデイトナ24時間レースがXJR-7の最後のレースとなったがリタイアに終わった。このレースではデビュー戦となったTWRのジャガー・XJR-9が優勝し、TWRとグループ44の実力の差が浮き彫りとなった。

参考文献




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