1988年の戦績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 14:58 UTC 版)
「ジャガー・XJR-9」の記事における「1988年の戦績」の解説
WSPC シーズンを通してザウバーメルセデスと戦力的に拮抗した状態が続き緊迫したタイトル争いが展開されたがル・マンの結果がシーズンの帰趨を決めた。 開幕戦のヘレスに3台体制で臨むもザウバー・C9に苦杯、しかし以降ハラマ、モンツァ、シルバーストンと3連勝。第5戦ル・マン24時間レースに1986年、1987年の3台体制から、エントリーを5台に増やして臨んだ。 レースは1年振りに復活したワークスポルシェとの一騎討ちとなり、歴史に残る激戦の末、ジャガーXJR-9がジャガーに31年ぶり、イギリス車としては1959年のアストンマーティン以来29年ぶりの優勝をもたらした。ドライバーはヤン・ラマース、アンディ・ウォレス、ジョニー・ダンフリーズ。優勝車の走行距離5332.8kmは、当時の記録であった1971年のポルシェ・917の走行距離5335.3kmに匹敵するものであった。 ル・マン後の第6戦ブルノではル・マンを予選中の事故で撤退していたザウバーが雪辱、ジャガーは2,3位に終わる。第7戦、地元のブランズハッチには3台体制で臨み勝利。ブランズハッチでは3台目のマシンに、以前から開発していた4バルブ・DOHC仕様のエンジンが搭載されたが、ミスファイアが発生しチームは39周でリタイアさせた。 その後ニュルブルクリンク、スパとザウバーに連勝を許すがスパでチームタイトルを確定。第10戦の富士で勝利しドライバーズタイトルも決めた。最終第11戦のサンダウンではザウバーに敗れた。 この年はWSPC全11戦中6勝をあげ2年連続チーム・ドライバー(マーティン・ブランドル)のダブルタイトルを獲得している。 IMSA-GTP TWRジャガーにとってのIMSAシリーズデビュー戦ともなったデイトナ24時間レースでいきなり1-3フィニッシュを決め華々しいスタートを切る。 しかし、その後コンスタントに表彰台は獲得するも優勝に届かないレースが続き、優勝はデイトナとシーズン最終戦デル・マーでの2勝に終わり、タイトルは3勝をあげたポルシェのものとなった。
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