1988年〜1992年
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「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」の記事における「1988年〜1992年」の解説
1988年 第1回大会 「乾電池スピードカーレース」 このときはまだロボットではなく、60Kg以上の人を乗せた車を乾電池で走らせる競技であった。レース直前の準備時間10分以内に単一乾電池二本からエネルギーを取り出して蓄積し、35m先のゴールを目指すものであった。 NHK放送センター 101スタジオにて開催。 24校の高専が書類応募し、そのうち国立高専13校が選考され、出場した。1校が不具合により大会直前で棄権し(津山)、アイデアのみが紹介された。また、東京高専はレース中にマシンが不具合を起こし途中棄権となるが、特別に手動でマシンを動かしてゴールを果たし、アイデア倒れ賞を獲得した。 1989年 第2回大会 「オクトパスフットボール」 新都市ホールで開催。 2チームが一斉にスタートする競技形式となる。相手ゴールにカップを被せる機構を持つ、大会初の妨害マシンが登場する。久留米高専は妨害を受けながらも操縦者の機転で自分のゴールに自分のボールを入れて妨害をかわし、再試合で勝利した。 全国の高専53校から応募があり、書類選考で、国立高専18校、公立高専2校が出場。 1990年 第3回大会 「ニュートロンスター」 国立代々木競技場 第2体育館にて開催。 初の全高専出場。1つの会場に全高専を集め、大会を開催した。桐蔭高専(現桐蔭横浜大学工学部)は最初で最後の出場となる。 1991年 第4回大会 「ホットタワー」 現在の大会運営、競技形態の基礎が出来上がる。 地区大会を優勝するか審査員の推薦により、全国大会へ出場する形式となる。 全国大会の会場が両国国技館へ変更、以後「目指せ両国(国技館)」を合言葉に参加学生は全国大会を目指すこととなる。 札幌市立高専が開校、初参加。地区大会では不具合で1回戦敗退だった東京高専が、審査員推薦により全国大会に出場、全国優勝する。 九州地区大会での大分高専のマシンが、相手の箱にペンキを吹きかけて自分の色に変えるというもので、これ以後の大会で、フィールドを汚すことを禁止するルールが追加される。 1992年 第5回大会 「ミステリーサークル」 「ロボコン大賞」が設置される。初の受賞ロボットは都城高専「ロジャーアーム号」。 スラバヤ電子ポリテクニックがこの年を最後に高専ロボコンから離れ、以後大学ロボコン、ABUロボコンを制覇する。
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