ジャガー・XJR-10
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 03:19 UTC 版)
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ジャガー・XJR-10
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| カテゴリー | IMSA-GTP | ||||||||||
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| コンストラクター | TWR | ||||||||||
| デザイナー | トニー・サウスゲート イアン・リード (1990) |
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| 先代 | ジャガー・XJR-9 | ||||||||||
| 後継 | ジャガー・XJR-16 | ||||||||||
| 主要諸元 | |||||||||||
| シャシー | カーボン モノコック | ||||||||||
| サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン プッシュロッド | ||||||||||
| サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン プッシュロッド | ||||||||||
| 全長 | 4,800 mm | ||||||||||
| 全幅 | 2,000 mm | ||||||||||
| 全高 | 1,010 mm | ||||||||||
| ホイールベース | 2,794 mm | ||||||||||
| エンジン | ジャガー 2,991 cc V6 ツインターボ ミッドシップ | ||||||||||
| トランスミッション | マーチVG 5速 | ||||||||||
| 重量 | 953kg | ||||||||||
| 主要成績 | |||||||||||
| チーム | |
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| ドライバー | |
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| 出走時期 | 1989 - 1991年 | ||||||||||
| コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
| ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
| 初戦 | 1989年ライムロック | ||||||||||
| 初勝利 | 1989年ポートランド | ||||||||||
| 最終戦 | 1991年トペカ | ||||||||||
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ジャガー・XJR-10は、1989年のIMSA GT選手権参戦用にトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)が製作したプロトタイプレーシングカーである。
概要
前年型のXJR-9の発展型で、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に参戦したXJR-11とほぼ同型車で、シャシーデザインはトニー・サウスゲート。
モノコックはエンジン用の窪みがない以外はXJR-9とほぼ同一のもので、サスペンションもXJR-9とほぼ同一である[1]。
エンジンはMG・メトロ6R4が搭載していた自然吸気のV64Vエンジンをベースとして、ジャガーとTWRの合弁会社ジャガースポーツが、ツインターボエンジンとして発展させたものを搭載する[2]。IMSA規定により排気量は3.0L、エンジンマネージメントシステムはザイテックである。タイヤは1989年はダンロップ、1990年からはグッドイヤーを使用。
1989年第5戦ライムロックでデビュー、いきなり2位に入賞する。その後第10戦ポートランドで初優勝するもなかなか熟成が進まず、シーズン終盤はWSPC同様XJR-9にマシンを戻すなどしたが、最終戦デル・マーで2勝目を上げる。翌1990年は第7戦ライムロック、第11戦ポートランドで2勝を上げるもニッサン、トヨタの前に苦戦、王者獲得はならなかった。1991年シーズンは第2戦ウェスト・パームビーチ、第4戦マイアミで優勝。その後XJR-10の改良型、XJR-16にバトンタッチした。
脚注
- ^ 『Sports-Car Racing』Vol.15 Sports-Car Racing Group、2004年、p.24。
- ^ “世界最速だったジャガー「XJ220」は5200万円! フェラーリ「F50」やブガッティ「EB110」の半値以下の理由とは - 記事詳細|Infoseekニュース”. Infoseekニュース. 2023年12月26日閲覧。
関連項目
固有名詞の分類
| ジャガーの車種 |
ジャガー・Xタイプ ジャガー・XJR-9 ジャガー・XJR-10 ジャガー・XK140 ジャガー・Cタイプ |
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