1989年の戦績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 14:58 UTC 版)
「ジャガー・XJR-9」の記事における「1989年の戦績」の解説
WSPC 前年の株主総会でモータースポーツ活動の復帰を表明していたメルセデスがシーズンを席巻、ワークス参戦2年目で二冠を獲得した。ターボエンジン搭載車XJR-11のデビューまでのつなぎとしてXJR-9は参戦するが成績は低迷、表彰台獲得は第3戦ハラマのみとなる。 第4戦ブランズ・ハッチでXJR-11がデビュー、XJR-9は1台のみの参戦となり、第5戦ニュルブルクリンクからは2台ともXJR-11の参戦となる。しかし第6戦ドニントン・パーク、第7戦スパとXJR-11は連続して全滅する事態となり、ジャガーは最終第8戦で2台ともXJR-9に切り替えて5、6位に入賞し、XJR-9にとっての最後のレースを終えた。 IMSA-GTP 前年9勝をあげたニッサンがシーズン10勝を記録し初タイトルを獲得。XJR-9は苦戦を強いられ2勝をあげるにとどまった。 開幕戦のデイトナ24時間で2位入賞。まずまずのスタートを切ったかに思えたが、その後第5戦まで連続して2位とニッサン、ポルシェに後塵を拝するレースが続く。 第6戦ライムロックでXJR-10がデビュー。XJR-9は1台のみの参戦となる(XJR-10が2位入賞)。第7戦ミドオハイオでXJR-9が2位、第8戦ワトキンズグレンでXJR-9、XJR-10ともリタイアの後、第9戦ロードアメリカでXJR-9が2位と優勝に手が届かないレースが続いたが、3台体制(XJR-9が1台、XJR-10は2台)で挑んだ第10戦ポートランドでXJR-9がジャガーにシーズン初勝利をもたらす。 XJR-9は第14戦タンパでジャガーにとってのシーズン2勝目をあげるが、ジャガーは最終第15戦を2台ともXJR-10で戦うことを決めた為、XJR-9にとってこれがIMSAシリーズでの最後のレースとなった。デイトナにはXJR-9D、ル・マンにはXJR-9LMとして仕様変更して出場。
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