コッホによる実験的証明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 01:36 UTC 版)
パスツールにやや遅れて、ドイツのロベルト・コッホが医学の分野から、病原体としての細菌の研究を開始した。コッホは切ったジャガイモの断面でのカビの生え方をヒントに、液体培地をゼラチンなどで固めた固体培地を発明して細菌の固体培養法を確立した。固体培養法では液体培養法とは異なり、病原菌と他の細菌の混じり合った中から、それぞれを独立した別のコロニーとして分離し、純粋培養を行うことが可能となったため、分離した一種類の細菌についてのみ、その病原性を研究することが、ようやく可能になった。 コッホはこの手法を用いて、学生時代の恩師の一人であったヤーコプ・ヘンレが提唱していた、病原体を証明するために必要な三つの原則(ヘンレの原則、コッホの原則の1-3に対応)に従い、細菌説の証明に取り組んだ。そして1876年に、炭疽症を起こした動物から分離した炭疽菌の病原性について、ヘンレの原則を満たすことを示した。また、この後にさらに実験感染した動物の体内から炭疽菌が分離できることも証明し(コッホの原則の第4条件にあたる)、細菌説が科学的に正しいことを実験的に証明した。 さらにコッホは1882年に、ヒト結核の病原体として結核菌を分離し、ヒトの病気についても細菌説が正しいことを実験的に証明した。これと同時に4条件からなるコッホの原則を公表した。この原則は、以下の4つの条件から成り立つ。 ある一定の病気には一定の微生物が見出されること その微生物を分離できること 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること この4つの条件をすべて満たすことが、ある微生物が特定の病気の病原体であることの厳密な条件となる。これを受けて、医学研究者らの関心が一気に細菌学に向けられることになり、20世紀の当初までに、主要な伝染病の病原体が発見されていった。 ただし、コッホ以降の医学の進展によって、この条件のすべては満たさない(2つか3つの条件のみを満たす)場合でも、他の疫学研究などの知見と併せて、病原体として認められた微生物もある。 一方、環境説を支持していたペッテンコーファーは、コレラの病原体が細菌であるとする説に異を唱えて、1892年にコレラ菌を自ら飲む自己実験を行うことで自説の正しさを証明しようとした。この結果、ペッテンコーファー自身は激しい下痢を起こしたものの、コレラの主症状とされる脱水症状を起こさなかったため、細菌説の正しさに対してクレームがつけられる結果となった。しかしその後、他の研究者による追試の結果などから、最終的には、病原菌の毒性と宿主の抵抗性の、力のバランスによって発病するかどうかが決まることが次第に明らかになり、さらにその欠点を補いながら、細菌説の方がより正しい学説であることが証明されていくことになり、長く続いた環境説やミアズマ説との論争に決着がつけられた。 発見の経緯から、19世紀には病原体はすべて細菌であると考えられていたが、その後、微生物学の発展に伴ってその分類が進み、真正細菌だけでなく菌類や原生生物にも、宿主に病気を起こす性質(病原性)を持つものが見つかった。また細菌を取り除くことが可能な素焼き陶器製の濾過器を通過しても病原性が残る濾過性病原体として、ウイルスが発見され、病原体には細菌以外にも、さまざまな微生物、ウイルスが含まれることが明らかになった。
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