ケルンシュタット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 01:24 UTC 版)
プロテスタントの聖アンドレアス教区教会: この教会は1160年から1180年にロマネスク様式で建設され、1350年にゴシック様式のホール式教会に改築された。 ライネベルク城趾: この城趾はリュベッケ市民にとって身近な山であるライネベルクにある。この城砦は1221年に初めて記録され、1723年に広範囲に取り壊された。現在は土塁と堀の跡が遺るだけである。 旧市庁舎(文化メディアセンター): 1460年に初めて文献上に記録された市庁舎は1709年の大火で焼失し、その後に新たに建設された。この建物は切妻 2階建ての化粧漆喰が施された石造建築である。1861年にネオゴシック様式の階段破風を取り付けるなどの改築が行われた。1階に切妻型の尖塔アーチのアーケードを持つ防火塔を含む東部の増築部分は1936年に設けられたものである。 古民家: リュベッケは第二次世界大戦による破壊を免れたにもかかわらず、旧市街はまとまりのある景観を有していない。20世紀の中頃までは主に18世紀から19世紀に建てられた簡素な木組み建築が通り沿いに並んでいた。そのうちの何件かは脇に張り出し部を有していた。1960年代末から行われた都市再開発により、歴史的建造物が何棟も解体された。特にマルクト広場でそれは顕著であり、1966年に建てられた住宅兼オフィスビルによって、たとえばトリッベン館などが犠牲となった。1975年にはブリュッテン通り 6番にあったこの町で最も美しい建築の一つが取り壊された。現存する古い住宅の中ではオスタートーアホーフ 7番の工場主ヘヒト家が傑出している。この中央部にリザリートを持つ古典主義様式の化粧漆喰の建物は、おそらく19世紀半ばに建設されたものである。1950年代に撤去された野外階段は1990年代に復元された。ニーダートーア通り沿いには、いわゆる旧薬局がある。この2階建てのマンサード屋根を持つ木組み建築は、1820年に建設された。この他に、木組み建築はランゲン通り沿いやアンドレアス教会周辺にいくつか遺されている。たとえば、プファル通り 3番のクーリア・デス・シュティフツカーンスなどである。また、ヴィルヘルム広場沿いには、19世紀に建てられた、やや高い平屋建てのプファルヴィトヴェンハウスがある。 アム・マルクト 19番のブルクマンスホーフ(郷土博物館): 野外階段のある化粧漆喰2階建ての石造建築には1735年と記されているが、その中核部はそれよりも古い。領主館の他に防壁の一部や門、および1985年に改修された納屋がある。 ゲリヒツ通り 5番のグラーペンドルフス館(市民交流館): かつては多くの建物からなる農場施設であったが、現在では領主館のみが遺されている。領主館の中心部分は16世紀に建造されたものである。18世紀に大規模な増改築がなされた。現在の建物はマンサード屋根を戴いた7つの軸を持つ化粧漆喰の建物である。野外階段は交通技術上の理由により撤去された。北側にやはり7つの軸を持つ附属建築があり、1845年から46年に戦争捕虜収容所に利用された。1988年、区裁判所の移転後に市の所有となり、1993年に市民交流館として開館した。この旧区裁判所は多くのサークル、グループに利用されている。 ビール醸造所バレ: 最も古い建物は1842年の創業直後に建てられたものである。傑出しているのはゴシック様式の塔がある装飾豊かな仕込み部屋である。 市内で2番目に高い山であるヴルツェルブリンク(海抜 319 m)の上にある高さ 19 m の見張り塔。 ビールの泉: 1954年にエルンスト=ルートヴィヒ・バレによって造られたこの泉はブルクマンスホーフの近くにあり、年に1度のビールの泉祭にはビールが捧げられる。
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