クロ49形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)
皇族の御乗用として1931年度予算で2両(49001, 49002)が製造された二等制御車(貴賓車)で、2両とも下り(偶数)向きである。本形式はそれまで使用されていた22000系木造客車の20550形ナイロフ20550の代替として計画された車両である。横須賀線では皇族が避暑に使用する葉山御用邸への往来や軍籍にある皇族の横須賀軍港への往復といった貴賓車の需要があり、皇太子御乗用には専用列車が仕立てられたが、本形式を使用した、その他の皇族の御乗用列車は定期列車への併結とされたため、運転台付きの制御車とされた[要出典]。 窓配置はd122D2222D2で、室内の構成は一般車と大きく異なっており、運転室直後に特別室付随の便所と洗面室、その後位に全長3900 mmの特別室(定員10名)の配置で、この部分の外板腰板には御紋章取付け用の台座が設けられ、そこから後位は随伴員用の控室(二等室、定員40名)である。特別室には乗降扉は設置されず、前位側の乗降用扉を特別室直後の随伴員控室(二等室)に置き、この扉は途中駅での開閉を行なわないことから[要出典]ドアエンジンは設置せず手動扉とされた。 特別室内は横幅1750 mm(前位側妻壁面部のもののみ926 mm)で、端部に肘掛を設置したボックスシート2組を海側に寄せて設置しており、シートピッチは1950 mm、座席の奥行は625 mmで、側面窓は二等室のものと同じく幅700 mmのものを2箇所1組で配置しているほか、室内には折畳テーブルや扇風機を設置している。また、便所を山側・洗面室を海側に設置しており、便所内にはタオル棚、網棚、帽子掛が、洗面室内には鏡、化粧品棚、コップ置き台、水石鹸入れ、うがい水タンク、タオル棚、網棚、帽子掛が設置されている。 随伴員控室(二等室)内は基本的にはサロ45形などの二等室と同一の仕様であるが、後位側の乗降扉の車体中央寄りにはロングシートが設置されずに扉脇までボックスシートとなっている点が異なっている。
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クロ49形
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クロ49形の皇室用貴賓車はモハ32との2両編成で、営業列車の東京方に併結されて運用されており、編成の先頭側となるモハ32形の連結器が銀色に塗装されていた。また、本形式は基本的には御乗用列車用であるが、お召し列車用として使用されることもあり、1941年3月25日には東京-横須賀間で運行された昭和天皇の御召し電車は最初の電車によるお召列車であり、49001ほかの32系が使用されており、当日の編成は以下の通りで、その後もお召列車として使用されている。 ← 横須賀 東京 → モハ32033モハ32003サロ45013クロ49001サロ45004モハ32036また、本形式は、1947年6月7日には阪和線の東岸和田 - 東和歌山間で、同年7月17日には四ツ谷 - 与瀬駅(現相模湖駅)で運行されるなど、関西方面を含む横須賀線以外でも運行されている。なお、6月7日における編成は以下の通りで、上段が先導車、中段が本務編成、下段が予備編成である。 ← 東岸和田 東和歌山 → モハ51052モハ51044 ← 東岸和田 東和歌山 → モハ60029クロ49002モハ60033モハ60034 ← 東岸和田 東和歌山 → モハ63150クロ49001モハ63152
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