横須賀線からの転出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)
「国鉄32系電車」の記事における「横須賀線からの転出」の解説
横須賀線への1950年の京阪神地区からの42系の転用と、1951年からの70系の新製投入により、モハ32形、クハ47形、サハ48形のうち余剰となった車両を静岡鉄道管理局管内の電化戦時買収線区である身延線や飯田線に転用することとなった。その際、同局の方針により、制御電動車は下り(偶数)向き、制御付随車は上り(奇数)向きに統一し、方向転換とサハ48形への運転台取付け改造を施工した。一方、貴賓車クロ49形は戦後になって使用回数が減少したことから、伊東線で一般用に転用することとなり、所要の改造が行われた。その状況は次のとおりである。
※この「横須賀線からの転出」の解説は、「国鉄32系電車」の解説の一部です。
「横須賀線からの転出」を含む「国鉄32系電車」の記事については、「国鉄32系電車」の概要を参照ください。
- 横須賀線からの転出のページへのリンク