ガジャパティ朝との戦いとは? わかりやすく解説

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ガジャパティ朝との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/18 14:37 UTC 版)

クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ」の記事における「ガジャパティ朝との戦い」の解説

クリシュナ・デーヴァ・ラーヤそののちサールヴァ・ナラシンハ治世オリッサガジャパティ朝奪われウダヤギリ奪還計画したヴィジャヤナガル王国とガジャパティ朝との戦いはじつに数十年に及ぶものであり、父トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの時からは膠着していたが、その決着の時が迫りつつあった。 1512年クリシュナ・デーヴァ・ラーヤウダヤギリ攻め落とすために、自ら歩兵34000騎兵400を以て進軍した兵数少なさ理由は、ウダヤギリは非常に堅固な城塞でありその道程には狭い道が一本しかなく、兵糧攻めにするほか方策がなかったからであった。彼は城への狭い一本道道幅広くのみならず、ほかにも道を作って軍勢通しやすくし、ウダヤギリ城を包囲したクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ1年半も及ぶ長期にわたる包囲の末、敵を兵糧攻め疲弊させ、1513年ウダヤギリ陥落させることに成功した。その包囲戦により、彼はオリッサ王の叔母(あるいは叔父)を捕え、ウダヤギリから一緒に連れて帰り1514年ヴィジャヤナガルへと帰還した。 しかし、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤこれだけでは満足していなかった。まもなく、宰相サールヴァ・ティンマラサを呼び出し次の遠征に出る旨を伝え食糧準備して兵士十分な給料支払うように伝えた1515年クリシュナ・デーヴァ・ラーヤガジャパティ朝主要都市であったコンダヴィードゥ攻めたオリッサ王プラターパルドラはこの包囲を知ると、自ら象軍1300騎兵2万歩兵50率いて迎撃にやって来た。 クリシュナ・デーヴァ・ラーヤはこれを知ると「この市を攻めるよりも、王その人及びその軍隊戦いたい。死はその後でゆっくり攻撃することが出来よう」、とコンダヴィードゥ包囲解いて町を後にした。このとき、彼はコンダヴィードゥ住人が市を出て背後から襲わないよう一部軍隊残したままにした。 そして、町から4グレア距離の単位前進したクリシュナ・デーヴァ・ラーヤは、浅瀬つたってわたることのできる大きなであったクリシュナ川到達し、すでに対岸布陣していたオリッサ軍勢遭遇した同様に対岸布陣した彼はオリッサ王に対し、 “ 「もし貴殿が世と戦う意思があるならば、自由に川を渡れるように2グレア後退する。しかし、貴殿がもし渡らない時は余が代わって川を渡り攻撃仕掛ける」 ” 、との旨を伝えた。 これに対しオリッサ王からの返答はなかったが、戦い仕掛けようと準備し始めたため、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤはそれがオリッサ王の決意考え全軍対岸布陣するオリッサの軍に向けた双方軍勢川を渡る最中全面衝突し、両軍大勢死者出た。だが、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤは川を渡り川岸勇敢に戦ったため、オリッサ軍は負けて敗走した。このとき、ヴィジャヤナガル軍はオリッサ川から多数の馬と象を奪うことに成功したクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ宰相サールヴァ・ティンマラサに「余の武力のほどをまだ経験していないあの要塞コンダヴィードゥ城)に引き返そう」といい、コンダヴィードゥへと向かった。2ヶ月の渡る包囲の末、同年6月23日コンダヴィードゥ陥落したその後クリシュナ・デーヴァ・ラーヤオリッサ王の追撃戻り、その国土多く攻略し破壊したその際王国主要都市たるコンダパッリを3ヶ月にわたる包囲の末、人海戦術攻略した。この都市にはオリッサ側の多く王族貴族がおり、そのうちオリッサ王の妻第一王子主要な王国の長官のうち7人はヴィジャヤナガルへと送らせた。 こうして、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤオリッサ王国領土100グレア進撃しゴーダーヴァリ川越え1516年までに北東のシンハーチャラムまで平定したのち、最終的にラージャムンドリーに6ヶ月滞在したこの間オリッサ王に戦場まみえるように伝えた返答なく、彼は滞在中に町に立派な寺院建設し多数所領レンダ)を与え碑文刻み込んだその内容は、 “ 「これらの文字消えるころ、ようやくオリッサ王はヴィジャヤナガル王に戦い挑むであろう。(消える前にオリッサ王が自らこれらの文字を消すことがあれば、その時には王の奥方ヴィジャヤナガル馬丁たちの嬲り者にされるであろう」 ” 、というものであったその後クリシュナ・デーヴァ・ラーヤオリッサ王国から奪った領土大半寺院寄進し、ヴィジャヤナガルへと帰還したそののち、彼は捕虜にしていたオリッサ王子剣術試合所望したが、自身ではなく家来相手させため、王子はこれを侮辱とみて自殺した。 この知らせオリッサ王のもとにも届き、彼はここに来てようやく和睦への道を考えようになったオリッサ王は宰相サールヴァ・ティンマラサに「王子死んだ今、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの手中にあるわが妻にはいかなる方法があるか?」との旨を送った。これに対し、サールヴァ・ティンマラサは「ご息女クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王との結婚お申し出なさい。そうすればクリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王はあなた様奥方様も土地返すでしょう」と返答したクリシュナ・デーヴァ・ラーヤはこれを大い喜びオリッサ王の娘トゥッカ婚姻のためにヴィジャヤナガル王国到着すると、オリッサ王と友好関係入りオリッサ側の捕虜トゥンガバドラー川以北土地返還したかくしてヴィジャヤナガル王国とガジャパティ朝との戦いはここに終結した

※この「ガジャパティ朝との戦い」の解説は、「クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ」の解説の一部です。
「ガジャパティ朝との戦い」を含む「クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ」の記事については、「クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ」の概要を参照ください。

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