カウアイ島の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:43 UTC 版)
「ハリケーン・イニキ」の記事における「カウアイ島の状況」の解説
ハリケーン・イニキはカウアイ島の南部から同島に上陸、島全体が危険にさらされることとなった。上陸当初、島の周辺では平均で1.4メートルから1.8メートル程度の波が発生していたが、沿岸の一部地域ではこのときから既に5.5メートルの波を観測していた。その後、更に波の勢いが強くなり、高さが10.5メートルにも達する波が南の海岸付近の家屋を破壊し、その破片は海岸から250メートル以上離れた場所でも発見された。高波による被害が拡大した理由として、予想以上にイニキの進行が速かったことと、それまで降雨に関しては警戒するほどの数値は観測されていなかったことが挙げられている。 イニキは昼間に上陸し、多くのカウアイ島住民が被害を記録する目的で映像を撮影している。後にこれらは1時間のビデオドキュメンタリーとしてまとめられた。 イニキの強風はカウアイ島に大きな被害をもたらした。1,421戸の家屋が全壊、うち63戸は高潮や高波により跡形も無いほどに破壊されていた。半壊した家屋は5,152戸、軽微の損傷を受けた家屋は7,178戸であった。南部の海岸線付近ではホテルやマンションなどへの被害も報告されている。一部の建物はすぐに復旧したが、中には復旧に数年を要した建物もあった。エルヴィス・プレスリーの作品ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)で有名なホテル、ココパームリゾート(Coco Palms Resort)はこのハリケーン以後、未だに営業を再開していない。 島に破壊をもたらした嵐が過ぎ去った後には、家を失った7,000名もの人々があふれかえった。 カテゴリー4という強力なイニキからの強風を受けて、島内の電力関連設備のうち、高圧線が26.5パーセント、配電施設が37パーセント、低圧配電線が35パーセント(距離換算:1,300キロメートル)の損傷をそれぞれ受けた。これにより島全体で長時間に渡り、電力供給やテレビ放送が停止した状態となった。電力会社が災害から4週間後までに復旧できた電力設備は全体の20パーセント程度に過ぎず、中には電力の復旧に3ヶ月以上も掛かった地域もあった。また、このハリケーンにより農業も影響を受けた。サトウキビについては、既にほとんどが収穫済みであったため被害を免れたが、バナナ農家やパパイア農家などでは収穫前の果実や木が強風の被害を受けている。 最も大きな人的被害が出たのもこのカウアイ島だった。島内のあるところでは、1軒の家屋が破壊されて中にいた住人の女性1人が死亡した。また、同島沖では、乗っていたボートが転覆して日本人2人が死亡した。事前の情報周知や準備がしっかりとされていたとするなら、死者の数は更に減らせたはずである。負傷者の数は100人以上。ただしこちらはハリケーン自体というよりは、その後の二次災害によるものが多かった。 このとき、著名な映画監督であるスティーヴン・スピルバーグが、たまたま映画ジュラシック・パークの撮影のためカウアイ島を訪れていた。 彼や出演者、スタッフなど総勢130名はイニキが通過するまでの間ホテルで待機せざるを得なかった。 島内の南東に位置するナウィリウィリ湾(Nawiliwli Bay)のアメリカ沿岸警備隊基地は、停泊していた25メートル級カッター(業務用小型船艇)が損害を受けるなど、激しい嵐にさらされていた。同警備隊はケネス・アームストロング(Kenneth Armstrong)指揮下で即座に人道支援部門を設立。被災地に薬品、食料、氷、資金などを供給するだけでなく、公共施設の応急修理なども行った。また、島外からガソリンや軽油などの燃料補給を受けるために港の修復も行い、それは多くの家庭で起こり始めていた自家発電機の燃料不足を解決するのに大きな助けとなった。後に国防総省から派遣された支援隊(通称:Operation Garden Sweep(庭掃除大作戦))は、仮設テント村の設置、インフラや道路の修復、医療支援などの活動を行った。
※この「カウアイ島の状況」の解説は、「ハリケーン・イニキ」の解説の一部です。
「カウアイ島の状況」を含む「ハリケーン・イニキ」の記事については、「ハリケーン・イニキ」の概要を参照ください。
- カウアイ島の状況のページへのリンク