オリックス・バファローズ監督としての戦績
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「テリー・コリンズ (野球)」の記事における「オリックス・バファローズ監督としての戦績」の解説
2007年は、チームに2004年以来の最下位を記録させることになったが、序盤の1勝16敗という大型連敗が大きく響いた。また、終盤戦、楽天との3連戦での連敗などで大きく評判を落としてしまった。メジャー式の改革を標榜したが、選手への指導法にもギャップが生じ、先発投手が100球限定で中4日のメジャー式ローテーションを遵守したところ、アメリカ出身のトム・デイビーも日本式のローテーションに慣れきっており先発投手は不調であった。 一方で中継ぎローテーションは驚くほどに機能し、オリックス救援投手陣の防御率はJFK擁する阪神に次ぎ12球団中2位を記録した。そのため2008年は先発ローテーションを日本式に移行、主軸の大型補強など、両者を折衷したチーム改革を進めていたが、ローテーション投手が全員故障し開幕から低迷、また主軸以外のレギュラーを固定しない併用制も批判を浴びる。その後、ゼロから投手陣を再編成し、スターティングメンバーも固定してくると調子も持ち直し、5月20日の交流戦初戦では阪神タイガースを逆転勝利で破り、パシフィックリーグの単独最下位を脱出するが、翌5月21日に突然辞任が発表された。 シーズンに入り、チーム状況が思わしくない中、5月中旬あたりから進退に悩んでいた。後任には大石大二郎一軍ヘッド兼内野守備走塁コーチが監督代行に就任した。 5月21日の対阪神戦に敗れた後の記者会見では「この数週間、チームを見て自分に何ができるか考えた時、限界が見えた」「野球は情熱がなくなった者が続けていくわけにはいかない」と語った。 その後の5月24日に、同じく辞任したジョン・ディーバス打撃コーチ、マイク・ブラウン投手コーチとともに帰国した。 オリックス監督時代のコリンズの選手起用に関しては賛否両論ある。2007年度は一軍と二軍の選手の入れ替えが極めて少なかったため、シーズンオフの契約更改の場では、ファームで三冠王を獲得したにもかかわらず、一軍ではほとんど出場の機会が与えられなかった迎祐一郎や香月良太など、一部の選手から起用に関する不満のコメントが出た。 一方で、コリンズは目をつけた選手を積極的に起用し、それが奏功するケースも多かった。辛抱強く起用した坂口智隆や下山真二は、2008年には主力選手に成長した。下山はコリンズ辞任の翌日、自身のブログ上で「(コリンズの辞任は)ショックだった」「自分の野球人生を良い方に変えてくれた」と記し、コリンズに感謝の意を表している。また、辞任前日の5月20日にも、カブレラの負傷を受け、2年ぶりの一軍昇格となった一輝をいきなり6番スタメンに抜擢すると、一輝は7回裏2死満塁の場面でジェフ・ウィリアムスから逆転決勝2点タイムリーを放ち、後の飛躍のきっかけを掴んだ。また、投手陣の例としては、中継ぎで起用していた金子千尋・山本省吾・小松聖を先発に、加藤大輔を抑えに転向させ、更には開幕直後の先発投手陣の相次ぐ離脱を受け、一軍での実績が乏しかった近藤一樹を先発に抜擢した。すると、2008年に小松は15勝を挙げて新人王に、金子・山本・近藤も10勝(金子は2010年に最多勝をとるまでに成長した)を挙げ、加藤は33セーブで最多セーブ投手を獲得したように、結果的に投手陣の整備は成功した。
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