イルカ解放運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 07:36 UTC 版)
1970年の第一回アースデイに際し、オバリーは「イルカ・プロジェクト」を立ち上げた。そのプロジェクトの第一の目標は、研究機関や商業施設で飼育されているイルカ等を「解放」することであった。 1989年には営利団体「ドルフィン・プロジェクト・インク」を設立、これまでに850匹以上のハンドウイルカの個体を研究対象として捕獲した。また、オバリーは世界中の水族館のイルカの膨大なリストを作成しており、イルカの捕獲・飼育産業の実態について著述した、幾つかの著作を出版している。しかし著述されている事柄は、調教師時代の彼自身の経験や同僚らからの仄聞である。 1991年世界中の講義や会議でイルカ監禁の有害な影響について話すなど、イルカの保護への貢献が認められ、国連環境計画の米国委員会の環境功労賞を受賞しました 1996年には、米国海軍のイルカ2匹を勝手に逃がし、仲間と共に59,000ドルの罰金支払いを連邦政府から命じられた。 2001年に世界動物保護協会(WSPA)のコンサルタントでもあるオバリーは、グアテマラにおいて2匹のイルカを逃がすプロジェクトに係わるとともに、カリブ海のリゾートで流行している「イルカと泳げる」サービスを批判した。 2010年に、「わざと逮捕されて悪法に注目を集める」目的(アメリカの市民運動に顕著である)で、イルカを捕らえた網を切る事もあるが、日本国内においては「単なる犯罪者」になってしまい、そういった効果が望めないので行わないとコメントしている。 同年、9月2日に日本のアメリカ大使館にインターネットで151の国と地域からイルカ漁中止を求める署名約170万人分を集め、中止を日本政府に働きかけるよう要望した目録を渡した。 同年、9月6日に日本外国特派員協会で「漁業者らと話し合っていきたい」「自分は反日ではない」と語り、シー・シェパードとの連携についても「逆効果だ」と否定した。 同年、11月2日に、反捕鯨団体と太地町側の意見交換会が行われた際に、当初、出席予定だったが、町側から様々な論拠を突きつけられると、一方的に「完全なまがい物で、この恥ずべき八百長をボイコットする」と喧伝し、「町長側がメディアの自由な報道に規制をかけた」と訴える声明文を会場前で報道各社に配り、抗議のプラカードを掲げるなど、ヒステリックなアジテーションを展開した。 2015年8月27日に訪日し、伊東市の元イルカ漁師の元を訪ねた翌28日、所属団体のTwitterや自身のFacebookにて、伊東市の親善大使に任命されたと表明し、伊東市長の佃弘巳と握手している写真を掲載した。8月31日に市から「親善大使に任命した事実は無い」と否定された上に抗議を受け、写真等の削除には応じたが、この件に関する説明や謝罪などは行わなかった。また、同日夜に和歌山県那智勝浦町内で出入国管理法違反(旅券不携帯)容疑で現行犯逮捕されたほか、9月2日には太地町内でレンタカーの自損事故を起こしている。 2016年1月18日、「観光目的」で訪日したが成田空港で入国を許可されなかった。これは前年に訪日した際、イルカ保護関連の集会に出席しないと言ったにもかかわらず、実際には出席していたことから、虚偽申告と疑われたことが原因とみられる。これに対し、オリバーは異議申し立てを行ったが却下された。
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