和久里壬生狂言とは? わかりやすく解説

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和久里壬生狂言

名称: 和久里壬生狂言
ふりがな わくりみぶきょうげん
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 和久里壬生狂言保存会
選択年月日 2003.02.20(平成15.02.20)
都道府県(列記): 福井県
市区町村(列記): 福井県小浜市
代表都道府県 福井県
備考
解説文:  和久里壬生狂言は、福井県小浜【おばま】市和久里地区で、六年目ごとの四月中旬に、同地区西方寺せいほうじ】境内舞台仮設し、鰐口わにぐち】と笛の伴奏にのせ、仮面付けた演技者が、滑稽な内容芝居無言演じるものである
 小浜市和久里地区は、JR小浜駅前の市街地から川を隔てて東方キロメートルほどにあたる集落である。現在、和久里地区西方寺境内には「市【いち】の塔【とう】」と呼ばれる石塔がある。この石塔は、かつて小浜市市街地にあって石塔供養にあたって壬生狂言が行われたことが、文化十三年(一八一六)の記録にある。明治六年に石塔和久里地区移され和久里地区人びとが、十二支の子と午の年に、石塔供養とともに壬生狂言を行うようになった
 境内仮設され舞台構造は、能舞台準じ向かって左橋掛【はしがか】りがあり、中央舞台で向かって右鰐口と笛を演奏する者が座る場所を設け全体に低い手すりめぐらしている。舞台後背面が楽屋にあたる。丸太組みあげ、庇【ひさし】や床【ゆか】の裾まわりなどを青葉覆い、庇の正面に「壬生と書いた額を掲げている。
 演目は「狐釣【きつねつ】り」「とろろ滑【すべ】り」「炮烙割【ほうらくわ】り」「座頭【ざとう】の川渡り」「愛宕詣【あたごまい】り」「餓鬼角力【がきずもう】」「腰折【こしお】り」「寺大黒【てらだいこく】」「花盗人はなぬすびと】」である。平成十四年は、四月十二日・十三日十四日三日間、毎日、九演目順番入れ替えて演じた十二日と十四日は、午前一〇時から午前中に演目を、午後一時半から午後五時ころにかけて残り演目公開し、中の十三日は、午前中に石塔供養があり、午後一時前から九演目続けて公開した
 これらは地元で単に「壬生」と呼ばれているが、京都市壬生寺毎年四月行われている『壬生狂言』〈重要無形民俗文化財昭和五十一年指定〉が伝わったものと考えられる京都壬生狂言一四世紀初めに創始され江戸時代初期に、ほぼ現在の形式整ったものとされる鰐口太鼓、笛の演奏にのせ、仮面付けた演技者が、無言身振り手振り演じるもので、現在、三〇演目伝承されている。京都和久里内容や名称がほぼ同じものは「炮烙割り」「餓鬼角力」など六演目である。「狐釣り」「座頭川渡り」の二演目は、かつて京都行われていたが、今は伝承されていない。「腰折り」は京都での公開伝承が明確ではなく和久里能楽狂言から独自に工夫した可能性がある。和久里壬生狂言は、京都壬生狂言比べておおらか素朴に演じられている。



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