おもな牧士の家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 08:41 UTC 版)
おおむね現在の自治体ごとに並べている。 綿貫家(松戸市) 小金牧の牧士の長(牧士頭)。身分は御家人。「野馬奉行」を慶長年間以来世襲したという由緒書を伝えるが、「野馬奉行」の成立についてこれをそのまま受け取るわけにはいかないという指摘がある。享保期には「野馬奉行」の公称と、綿貫家によって務められていたことが確認できる(野馬奉行参照)。 綿貫家の由緒書によれば、祖先は山梨城(現在の四街道市山梨)の城主で月見里(やまなし)氏を称し、北条家に仕えていたが、小田原落城後に家康に出仕し、小金町あるいは殿平賀(松戸市)に移り住んだという。殿平賀の慶林寺に墓所がある。現在の北小金駅付近の綿貫家の邸宅は野馬奉行所でもあった。 安蒜家(松戸市) 小金牧の牧士。元和2年(1616年)に任命された小金牧の最初の牧士の一人が千駄堀の安蒜源兵衛。安蒜家の長屋門は天保11年(1840年)に建てられた規模の大きなもので、松戸市指定文化財となっている。 三橋家(鎌ヶ谷市) 小金牧の牧士。明暦元年(1655年)に中沢の三橋五郎兵衛が牧士に任命された。近代には三橋弥が実業家としても活動、貴族院議員(多額納税者議員)を務めた。「三橋家墓地」は鎌ヶ谷市指定文化財。 清田家(鎌ヶ谷市) 小金牧の牧士。「清田家墓地」は鎌ヶ谷市指定文化財。3代目の清田勝定は乗馬の名手とされ、誰も乗りこなせなかった悍馬を乗りこなしたことでこの馬を将軍家から拝領したが、連れ帰る途中で暴れだし、危険なため切り殺さざるを得なかったという話があり、この悍馬を弔った「駒形大明神」(市指定文化財)がある。 花野井家(流山市) 小金牧の牧士。現在の流山市前ヶ崎の旧家で、中世の地侍層の出自とされ、江戸時代には名主を務めた。正徳4年(1714年)に花野井半左衛門が牧士に任命された。屋敷(旧花野井家住宅)は1969年に国重要文化財に指定され、1971年に野田市郷土博物館(野田市)に移築された。 吉田家(柏市) 小金牧の牧士。名主役を務めるとともに在郷商人として成長した。旧吉田家住宅(柏市)は国指定重要文化財。 川上家(白井市) 小金牧の牧士。祖先は戦国大名里見家の家臣とされ、江戸時代前期から印旛郡富塚村(現在の白井市富塚)の名主を務める。寛政3年(1791年)時点で旗本遠山氏の知行所8か村の惣代名主を務め、遠山氏から苗字帯刀と用人格の格式を許されていた。寛政5年(1793年)、川上右仲が牧士に任命され(のちに目付牧士となる)、以後4代にわたって牧士の職に就いた。川上右仲はクヌギを利用した佐倉炭の発案者としても知られる。所蔵資料が「小金牧の牧士資料」として千葉県の有形文化財に指定されているほか、近代のものも含む資料(近代の行政資料のほか、逆刃刀も含まれる)が「牧士川上家資料」として白井市指定文化財となっている。 島田家(酒々井町) 佐倉牧の牧士。寛文元年(1661年)の時点で島田長右衛門が牧士を務めていた。島田長右衛門家とその分家の島田政五郎家は、幕府野馬御用を務め、その屋敷は野馬会所・御払い場と隣接した。島田長右衛門家・島田政五郎家は酒々井町登録有形文化財。 藤崎家(富里市) 佐倉牧のうち取香牧を管理した牧士。天保4年(1833年)に藤崎勝左衛門が牧士に任命され、幕末まで藤崎家が牧士を務めた。所蔵資料が「佐倉牧の牧士資料」として千葉県の有形文化財に指定されている。1983年、当主であった藤崎源之助が「藤崎牧士史料館」を開設して資料を展示していたが、2014年に閉館。 石井家(鴨川市) 峯岡牧の牧士。石井家に伝わっていた「房州峯岡山野絵図・房州朝夷郡柱木野絵図(石井孫左衛門控)」が鴨川市の有形文化財に指定されている
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