おもな災害・火事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:30 UTC 版)
1675年(延宝2年)、延宝の大火に見舞われ、美甘の町並みが一軒を残してすべて廃塵に帰した。また、1731年(享保15年)44戸が焼失する火事が起こった。火元の塚谷屋は造り酒屋などの盛んな商業活動により、美甘の町を賑やかな宿場に代えた立役者であった。1782年-1783年(天明2-3年)は全国的な飢饉。1785年(天明5年)には美甘で大洪水が起こり、1786年-1787年(天明6-7年)にはまた大飢饉に見舞われている。 その影響もあり、黒田地区は存続の危機を迎え、庄屋などが救済に奔走している。1802年(享和2年)たたら師の資本が入り、黒田地区を中心にたたらが盛んになった。黒田地区の百姓は鉄穴流しによる砂鉄をたたらにしたり炭焼きをしたり経済が立ち直った。ちなみに田口地区は他の地域と異なり、水源が弱いために、夏の灌漑に苦労したと言われる。そのためこの地区にだけ雨宮様という雨乞いの神様が祀られている。 1804年(享和4年)にも享和の火災と呼ばれる美甘が全焼する火事に見舞われている。1893年(明治26年)10月、暴風雨と洪水が起こり、死者が出ている。1909年(明治42年)には美甘尋常小学校の本校舎が全焼している。
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