【硫黄島の戦い】(いおうとうのたたかい)
戦闘概要 | ||
戦争 | 太平洋戦争(大東亜戦争) | |
年月日 | 1945年(昭和20年)2月19日~3月26日 | |
戦場 | 硫黄島 | |
結果 | アメリカ軍の勝利 | |
交戦勢力 | 枢軸国 | 大日本帝国 |
連合国 | アメリカ合衆国 | |
戦力 | 日本軍 | 22,786人 |
アメリカ軍 | 110,000人 | |
損害 | 日本軍 | 戦死者20,129人(うち82人は軍属)、捕虜1,023人 |
アメリカ軍 | 戦死者6,821人、戦傷者21,865人 |
太平洋戦争(大東亜戦争)の末期において、小笠原諸島・硫黄島において日本軍とアメリカ軍の間で生じた戦闘。
背景
日本を徐々に追い詰めていたアメリカ軍は、マリアナ諸島を攻略し、そこから戦略爆撃機「B-29」を日本本土に飛ばし、戦略爆撃を行っていた。
しかし、航法ミスや損傷、故障などでマリアナ諸島にたどり着けず、さらに日本軍の爆撃機が硫黄島を経由して、マリアナ諸島の基地に駐機するB-29に損害を与えるということがあった。
アメリカ軍は、B-29の航法上のロス解消や日本軍の航空基地制圧などを目的に硫黄島の占領を決定した。
戦闘
アメリカ海兵隊は2月19日、硫黄島に上陸を開始。
アメリカ軍は当初、(それまでの島嶼攻略戦の経験から)すぐに攻略できると踏んでいたが、栗林忠道中将率いる日本軍の決死の抵抗により苦戦。
長大なトンネルで防御陣地を構築した日本軍は、数万発以上の地形が変わるほどの凄まじい上陸前の艦砲射撃に耐え、待ち伏せすると海兵隊の上陸部隊に猛攻を加え、多大な損害を与えた。
日本軍守備隊は「一人十殺」の覚悟で万歳突撃をせず、硫黄島の特徴的な地形を駆使した地下要塞をもって奇襲攻撃を繰り返し、大火力をアメリカ軍に加えた。
結果、アメリカ軍の犠牲者は上陸して数時間で数千人になり、第二次世界大戦で最大の上陸作戦といわれる「ノルマンディー上陸作戦」を上回る激戦となった。
それでも物量に勝るアメリカ軍は日本軍を徐々に追い詰め、苦戦を強いられながらも硫黄島最高峰の擂鉢山を占領した。
必死の抵抗を続ける日本軍は300名余りが最後の攻撃を仕掛けるが、玉砕。
栗林忠道中将もここで自決し、組織的戦闘はここで終結した。
後援・救護部隊を持たなかった日本軍は96%の損傷率となり、アメリカ軍も戦死者・戦傷者の合計が日本軍の兵員を上回る激戦となった。
固有名詞の分類
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