あしうらかんのんじあととは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > あしうらかんのんじあとの意味・解説 

芦浦観音寺跡

名称: 芦浦観音寺跡
ふりがな あしうらかんのんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 草津市
管理団体 草津市
指定年月日 2004.09.30(平成16.09.30)
指定基準 史2,史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 芦浦観音寺跡は、草津市北部守山市接す芦浦町所在し、南を走る志那街道を介して東は中山道宿駅である守山宿、西は草津三港の一つである志那港へと通じ琵琶湖隔てて比叡山とも指呼の間にあり、湖南東部水陸交通の要衝立地している。
寺は、寺伝によれば聖徳太子開基秦河勝創建伝承有しており、当地域は白鳳期の瓦が確認され観音寺廃寺の名称で白鳳寺院跡として周知されている遺跡である。この寺は古代末から中世にかけて衰退したが、応永15年1408)歓雅が天台宗寺院として中興したとされている。
その後戦国期から江戸期にかけての八世賢珍、九世詮舜十世朝賢の時に観音寺政治的に大きく力を付けていく。九世詮舜は、豊臣秀吉の下で近江国内の蔵入地代官琵琶湖湖上水運全体管掌する船奉行として活躍し十世朝賢は湖南湖東中心とする幕領24000石の代官及び船奉行となり、また永原御茶屋御殿作事奉行にもなっている。
現在、境内には重要文化財指定されている室町期建物明治期境内移築され観音寺阿弥陀堂江戸初期建立観音寺書院重要文化財を含む多く什器古文書歴史資料所蔵するや門が所在する江戸初期のものとされる芦浦観音寺境内絵図」に描かれ歴代住持政務を執った政所は、明治入って取り壊されていて現存しない。一方、寺の周囲には幅3.6mから8.2mの規模の堀が巡り堀の内側には幅6.4mから8.0m、高さ2m規模をもつ土塁築かれ表門周辺では石垣築かれており、境内は中・近世城郭想起させる特異な寺観有している。また、発掘調査結果中世末から江戸初期にかけて掘られ江戸末に埋没した境内南北分け内堀存在確認されている。
境内西側は、現在歴代住持墓地含み、その周囲農地となっているが、絵図には堀と竹垣囲まれ建物描かれており、寺と一体の施設があったところと想定されるまた、北側には、守山宿から琵琶湖向かって流れている堺川があり、内陸水運路として機能していたと考えられている。この堺川と寺の堀は水路により繋っており、船奉行としての芦浦観音寺性格考えると堺川通じ北側一帯重要な地域であるといえる
このように、芦浦観音寺跡は、戦国期から江戸初期にかけて、豊臣徳川天下統一事業深く関わり、特に琵琶湖湖上交通全体管掌する船奉行として重要な役割担った寺跡である。また、現在も室町から江戸期建物多く残っており、かつ城郭思わせる寺観は、寺の歴史的役割具現する遺構考えられ我が国中世から近世に至る歴史考え上で重要であり、史跡として指定し保護図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  艸墓古墳  芝ヶ原古墳  芝山古墳群  芦浦観音寺跡  花園遺跡  花山塚古墳  花輪貝塚



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「あしうらかんのんじあと」の関連用語

あしうらかんのんじあとのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



あしうらかんのんじあとのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS