『海猿』
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映画『海猿』の役づくりは合宿生活から開始されている。インタビュー(2004年)によれば、『海猿』では、広島県の呉市で2ヵ月間ほど合宿生活を送り、海上保安官が実際に行う訓練も体験している。キャスト同士が役名で呼び合い、使用する潜水用具も自分たちで管理したため、役を離れる必要がなかったという。そのため俳優として仙崎大輔という役柄を演じるのみならず、一個の人間としての経験や感動をスクリーンのなかで体現した部分も多い。特に訓練シーンでは、体力や気力の限界点の「極限の表情」が出るまで、監督の羽住英一郎の「カット」の声がかからなかったこともある。撮影自体は非常に厳しいものであったが、自らの当たり役ともいえる役柄に出会えたことを誇りに思っており、また、常に危険と隣り合わせの状況にいる海上保安官を尊敬するようになっている。 30代中盤までの代表作は、2004年の映画『海猿 ウミザル』から始まった合計4作品の映画、および2005年のTVドラマ『海猿 UMIZARU EVOLUTION』によって構成された『海猿』シリーズである。撮影期間も含めると、伊藤はこのシリーズに10年にわたってかかわっている。映画はいずれもヒットしており、日本歴代興行成績上位の映画一覧を確認すると、1976年から2014年までに日本で公開されたすべての邦画・洋画のなかで、『THE LAST MESSAGE 海猿』は60位に、『BRAVE HEARTS 海猿』は71位に、『LIMIT OF LOVE 海猿』は75位にランクインしている。言い換えると、シリーズ4作品のうち3作品までが過去40年近くにわたる日本の映画興行成績上位100位以内に入っている。 『海猿』シリーズの3作目以降の映画はファンの要望によって製作されている。インタビュー(2010年)によると、『海猿』シリーズについては監督の羽住も伊藤も、2作目で映画を終了と考えていた。2本の映画はいずれもヒットしており、伊藤にはブレイクした役にいつまでもすがりたくないとの意地もあった。しかしファンの署名運動によって3作目が制作されることになり、「色々な意味で前作を超えられるように努力すればいい」と覚悟を決めて撮影に臨んだという。伊藤は、現場では職人気質の志の高いプロたちが死に物狂いで、また周囲を気遣いながら作品づくりに取り組んでいると語っている。伊藤はその中で仕事ができることに幸せを感じている。同時に、自分の出演作を心待ちにしてくれるファンのありがたさをも痛感している。伊藤は再デビュー後も、芸能界は努力がすぐ報われる世界ではないと考えており、過剰な期待感はもたなかったという。だが、上述の点に気づいてからは、それまで以上に仕事に対して強い責任感を抱くようになったという。伊藤は自身のことを「やる時はやる、相当頑張ってしまう性格」と評しているが、20代の頃と比較すると、見栄を張らずに、できないことはできないと認めつつ、最大限に努力すればいいと思えるようになっている。 映画『252 生存者あり』の主人公のキャラクターは、伊藤が演じることを前提とした当て書きでつくられている。インタビュー(2008年)によると、『海猿』シリーズの原案者の小森陽一が、『LIMIT OF LOVE 海猿』の撮影現場に、原稿用紙10枚ほどの『252』のプロットを持って訪ねてきたという。リアルに人間ドラマを描きだす小森の手腕を伊藤は尊敬しており、また自分を想定して書いてくれたということに感動したという。そこでこの話を旧知の監督水田伸生に持ち込み、映画化が実現した。伊藤は役作りをするために、実際のハイパーレスキュー隊員に話を聞いたり、東京消防庁で訓練を受けたりしている。ハイパーレスキューの仕事には、『海猿』で演じた海上保安官同様に敬意を表している。
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『海猿』
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