『河井継之助伝』とは? わかりやすく解説

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『河井継之助伝』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:57 UTC 版)

河井継之助」の記事における「『河井継之助伝』」の解説

今泉次郎著。初版明治43年1910年)、博文館昭和6年1931年)に目黒書店から増補改版昭和55年1980年)および平成8年1996年)には象山社から増補版の再版刊行。 継之助に関して編まれ唯一の刊本史料伝記)であり、現在ある関連書籍全てこれを底本にして書かれている先祖牧野家家臣自身新聞記者郷土史家であった今泉が、各地より蒐集した史料関係者からインタビューした情報基礎構成具体的に河井継之助史料書簡など)やそれ以外の者の関係史料からの引用河井継之助家族関係者、またその関係者の子女などからの証言2つから成り立っている。すなわち、史料学的に見れば『河井継之助伝』は2次史料・2史料分類される引用史料中には追考昔誌』『思出草』など、その原本写本現存しているものもある。しかしその一方で所在いかなる史料なのかが今のところ不明なものも存在する(たとえば「○○の手記」「三間正弘自叙伝」といったもの。これらについては、著者便宜的につけた表題であり、史料そのものではない)。また、戊辰戦争前後の事について書かれ現存引用史料残されたメモ当時史料記憶をたよりに後年編まれたものや回想録である。ゆえに、これら『河井継之助伝』中の引用史料扱いについても内容そのまま鵜呑みにはせず、他史料裏付けをとる必要もある。 小諸騒動にあっては維新後混乱期にごく短期間だけ小諸藩上席家老となった牧野隼之進成聖嫡子成功からの聞き取り依拠したと部分が多いものと推察され、これと不仲或いは反対派であった牧野隼之進成聖本家となる牧野八郎左衛門成道、及び真木要人則道、太田忠太一道、前藩主夫人子などの評価低く或いは悪役近く書いている恨みがあると指摘する文献加藤誠一著『牧野家臣団』など)もある(参考となるページ牧野康那)。また小諸藩重臣知行家禄引用極めてアバウトであるとも指摘されている。 小諸騒動アカデミックな場で僅かに扱われているが、小諸騒動の継之助の調停については小諸藩文書等小諸側の文書史料からは継之助の具体的な事績活躍がほとんど伝わらない関係者の証言に関しても、当時様相垣間見る上で貴重な手がかりである。しかし、かなり年月を経た後のものでもあり、そこには証言本人主観的判断感情記憶入れ違い存在しうる。ゆえに、史料学見地からもこれらの証言を扱う際にも慎重さ要する本文中で引用されている継之助の書簡についても、原本ごく一部除けば現存していない。 しかしながら現在、継之助や幕末期長岡藩に関する1次史料(とくに藩政史料)がほぼ皆無状況である以上、『河井継之助伝』は継之助の人物像幕末期長岡藩様相を知る上で数少ない史料であることは否定し得ない

※この「『河井継之助伝』」の解説は、「河井継之助」の解説の一部です。
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