「酋長の中の酋長」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:21 UTC 版)
「ボブ・サタイアクム」の記事における「「酋長の中の酋長」」の解説
逮捕歴多数、晩年はカナダに逃亡したボブだが、インディアンの権利のために取り組んだその生涯は、母族ピュヤラップ族を始め、多くのインディアンたちが讃えるものとなっている。現在、ボブの要求した条約に基づく部族の主権のいくつかは実現している。 1984年2月20日、米国最高裁判所は、「タコマ港そばの48,560㎡の土地がピュヤラップ族のものである」との部族の訴えを認めた。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、部族との和解案に署名し、7,725万ドルの賠償金を支払っている。ボブが取り組んだ保留地での「インディアン・カジノ」設立構想は、その後1997年に実現し、「エメラルド・クイーン・カジノ」として正式にオープンした。 2005年3月、ワシントン州教育委員会が、「デモインにあるフェデラルウェイ公立学校すべてにアメリカインディアンの人物やそれに因む出来事、場所の名を冠する」として、新しい学校名を募集。これにピュヤラップ族が「サタイアクム」を提案し、話題となった。 何度も逮捕され、カナダに亡命し、痴漢行為でまで起訴された人物の名を学校名に冠することに戸惑いを隠せない教育委員会に対して、インディアンたちの意見は全く違ったものだった。ボブは1950年代から70年代にわたって、タコマのピュヤラップ・インディアン部族の先頭に立ち、州でのサケの漁獲量の半分を勝ち取るために逮捕され、部族領土の返還を要求し、部族のビジネスの機会を規制する州と連邦政府に抵抗した。ボブはマーロン・ブランドらと親交があり、カヌーで米軍の戦艦ミズーリの牽引に挑んだ有名人だった。この提案を巡って、多くのインディアンたちが、「サタイアクムは、過去半世紀にわたり、インディアンの誇りの復活を象徴する人物、本物のアメリカン・ヒーロー」と主張したのである。 ピュヤラップ族は現在、ボブの汚名をそそごうと運動している。彼らは「痴漢の告発が嘘であり、ボブが実際には身体に触れたこともない」と記した、当時「痴漢行為の被害者」とされた女性の書簡を公開している。カナダでボブを弁護したシアトルのジーン・ウィルソンは、多数の証言を基に「一連のボブに対する起訴内容は事実でない」と主張している。教育委員会メンバーのアール・ヴァンドレインは、ボブの逮捕は「でっちあげだったと思う」とし、こう述べている。「犯罪歴のあるような人々を称えることは珍しいことではないと思います。マルコムXの名が頭に浮かびますが、 彼の名前は、東海岸の学校や公園などを飾っています。私たちは必ずしもその人が誰なのかということを記念するのではなく、その人の人々に対する貢献を讃えて記念しています。私は、『サタイアクム中学校』という名前はとても立派なものであると思います。」 4月末、教育委員会は「マヤ」、「サリシ」、「カメアフエイト」、「シクウォイア」、「サビウェイ」の5つを中学校名に選び、「サタイアクム」、「パトリック・マー」、「クラハニー」といった多数の投票を集めた候補名を却下した。約30名のピュヤラップ族は、この決定を聞いた後一斉退場した。 部族の保留地にあるボブの墓石は、その偉大な功績を讃え、三角形の黒い矢尻の形をしている。その正面には、羽根飾りを着けた横顔のレリーフが飾られ、墓石の裏側にはこう彫られている。 彼は、すべてのインディアンの国家のため、部族の主権運動を促進するために、生涯の間、一生懸命に働いた。酋長の中の酋長、ロバート・“ボブ”・サタイアクム(CHIEF OF CHIEFS ROBERT “BOB” SATIACUM)
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