「福米形」(1 - 12)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 19:28 UTC 版)
「国鉄EF16形電気機関車」の記事における「「福米形」(1 - 12)」の解説
1951年(昭和26年)から翌年にかけ、奥羽本線の勾配区間である福島 - 米沢間の直流電化に伴い改造されたグループである。電化当初より福島第二機関区(後の福島機関区、現・福島総合運輸区)にはEF15形1 - 8・20 - 23号機が配置され、正面扉上と前照灯へのツララ切りの設置、それに警笛、砂箱の増設やスノープラウ装備といった耐寒・耐雪や勾配対策を施し、さらには先述したとおり、下り勾配で連続してブレーキを使用することによる車輪弛緩対策として水タンクと散水装置を増設したが、抜本的対策の為、励磁機付抵抗釣合器式の電力回生ブレーキを設置し、一方で奥羽本線では不要の高速走行に用いる弱め界磁制御の機器を取り外し、さらに前面には重連時の回生ブレーキ制御用 のジャンパ栓を設置するなどの改造を1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)にかけて実施し、EF16形となった 。 本形式は改造後順次福島第二機関区に配置され、地上変電設備の改修や試運転を経て1953年(昭和28年)から単機・重連運用を問わず本格的に回生ブレーキの使用を開始、福島 - 米沢間を走行する全ての列車を牽引した。1961年(昭和36年)10月(サンロクトオ)に運転開始された気動車特急「つばさ」も、使用車両であるキハ82系気動車の出力不足のため、本形式が協調運転の形で牽引していた。板谷峠で回生ブレーキが安定して作動するようになると電力回生率も35 - 40 %という成績を示したが、勾配区間であることによる負荷の大きさ、回生時の電圧変動による主電動機や内部機器の消耗もあり1960年(昭和35年)以降福島機関区(東北本線電化により改称)配置の本形式全機が大宮工場で配線引き直しなどの整備を実施した 。 1964年(昭和39年)から1965年(昭和40年)にかけ福島機関区に新形式のEF64形が配置されたことで余剰となり、全車が長岡第二機関区に転属して水タンク・散水装置を撤去した以外装備はそのまま上越線で使用されたが、1 - 10号機は、1967年(昭和42年)から大宮工場で回生ブレーキ・増設汽笛の撤去と弱め界磁制御の再設置を行いEF15形に復元された。番号も改造前の新製時原番号に戻されている。これらのグループは、のちに一部が首都圏に転属した他は、引き続き上越線で使用され1980年(昭和55年)までに全車廃車となった。 一方11・12は回生ブレーキを後述の「上越形」と同様のものに交換、増設警笛を撤去するなど、仕様を揃えた上で長岡第二機関区に転属し、上越線で引き続き使用され1980年(昭和55年)に水上機関区へ転属後廃車となった。福米形の各機は上越線転属やEF15形への復元後も正面扉や前灯上のツララ切り、台車砂箱はそのままであり、福島機関区時代の面影を残していた。
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