「偉大なる落伍者」への決意とは? わかりやすく解説

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「偉大なる落伍者」への決意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「「偉大なる落伍者」への決意」の解説

中学2年時に、4科目(英語、博物など)で不合格となり留年したため、家庭教師つけられたりしたが、逃げ回っていた。勉強をしない炳五に漢文教師が、「お前なんか炳五という名は勿体ない。自己に暗い奴だからアンゴと名のれ」と黒板に「暗吾」と書いたとされ、これが「安吾」の由来とされる1922年大正11年)、反抗的な落伍者への畏敬の念強くボードレール石川啄木影響受けていた炳五は、試験の際に答案配られ直後白紙提出するなど反抗的態度を取る。この時、「学校の裏側に、余は偉大な落伍者となつていつの日か歴史中によみがへるであらうと、キザなことを彫つてきた」と安吾自伝小説『いづこへ』に記しているが、実際柔道部板戸彫ったという。炳五が再び落第濃厚で、放校されることを危惧した父や兄・献吉が、9月東京私立豊山中学校(現・日本大学豊山高等学校3年編入させたことがきっかけで、父や長兄夫婦、四兄・上と共に東京府豊多摩郡戸塚町大字諏訪現・西早稲田2丁目)の借家移り住み浅草寄席にも出かけた。秋頃、仁一郎胃癌診断される。母と離れて暮しはじめ、炳五は世の中の誰よりも母を愛していることをのちに知る。 文学作品は、兄・献吉の影響もあり早くから読んでおり、私立豊山中学校編入後は同級生山口修三、沢部辰雄の影響宗教にも目覚める谷崎潤一郎バルザック芥川龍之介エドガー・アラン・ポーシャルル・ボードレールアントン・チェーホフなどを愛読したまた、詩歌では石川啄木北原白秋などを愛読し短歌作っていた。その他にも、日本史興味持ち、『講談雑誌』を愛読していた。自伝小説『風と光と二十の私と』には、ボクシング小説人心収攬術」の翻訳を、友人Sの名前で雑誌新青年』に掲載したとあるが(結局掲載されなかったのか)、その掲載記事見当たらない文学自信持てず豊山中学時代は、野球陸上競技熱中角力大会入賞し5年次の1924年大正13年)に第10回全国中等学校陸上競技会(インターハイ前身)のハイジャンプで1メートル57センチ記録優勝した

※この「「偉大なる落伍者」への決意」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「「偉大なる落伍者」への決意」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

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