「倭國王」の解釈と帥升の所在地とは? わかりやすく解説

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「倭國王」の解釈と帥升(師升)の所在地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 20:41 UTC 版)

帥升」の記事における「「倭國王」の解釈帥升(師升)の所在地」の解説

『後漢書』の「倭國王帥升(師升)等…」の「倭國王」の解釈や「帥升(師升)」の所在地について様々な説があるが、推測の域を出ない。この「倭國」は、昔は、「統一され倭国全体」をさしていると解釈されていた。室町時代瑞渓周鳳書いた対外関係史、『善隣国宝記にしても松下見林の『異称日本伝にしてもその説であった。 しかし、『翰苑』の、『後漢書』引用した箇所には「倭面上國王帥升…」とある。また、北宋『通典』には「倭面土國王師升等…」とある。また、『唐類函』「百十六巻」「邉塞部一」「倭」の条には、『通典』からの引用として、「倭國土地王師升等…」と書かれているまた、日本書紀纂疏』の、後漢書引用した箇所には、「倭面上國王師升等…」とあり、『釈日本紀』「解題」の、後漢書引用した箇所には「倭面國」とある。『異称日本伝』の、『通典』からの引用には、「倭面土地王師升等…」とある。内藤湖南はこれらの記事注目し『後漢書』原本には「倭面土國王師升」とあったのではないか、しかし難解な表現なのでそれが転写されていき、諸書引用されていく中で、いろいろと書きかえられ書き誤られ、「倭國になったり、「倭面國」になったりしたのではなかろうか、という結論達した。そしてさらに、「倭面土」は「やまと」の中国式表記ではないかとした。本居宣長は、『通典』では「倭面土地王師升等」と表記されていることに気づき、「面土地」の三字どういう意味か明らかでない察するに「一つちひさき國の王」のようだ、と述べている。 宣長考え発展させて「一つちひさき國」を探しあてようとしたのは白鳥庫吉博士であった白鳥氏は、面の古い字体はしばしば回に見誤られやすいといい、「倭面土國」は正しくは「倭回土國であったとし、それは「倭の回土(ヱト、weitu)國」とよむべきだとして、伊都国をさしているとした。また、橋本増吉は、日本書紀神功皇后の巻には「松浦県(まつうらあがた)」は「豆羅(めずら)國」ともいったと記してあることや、面土の古音はカール・グレーソンによるとMian't`uoであるということ根拠に、「面土」はmetu-laの音訳だとして、「面土國」を「末盧國」にあてる説を唱えた。 このほか、「倭面土」を「ヤマト(ワミャト)」と読む説、帥升奴国王位継承したとする説、伊都国王だったとする説などがある。 また、「面土」を青刺のことだと解釈して、「倭面土國」を入れ墨風俗の国だとする説もある。

※この「「倭國王」の解釈と帥升(師升)の所在地」の解説は、「帥升」の解説の一部です。
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