ガンプラ ガンプラの概要

ガンプラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 08:27 UTC 版)

ガンプラのロゴ
ダイバーシティ東京プラザ内ガンダムフロント東京の「ガンプラTOKYO」にて展示されていたガンプラの完成品

「ガンダム」とはアニメ作品『機動戦士ガンダム』劇中に登場したモビルスーツロボット)である「ガンダム」のことだが、「ガンプラ」という名称を広義に用いる場合は単にガンダム一体だけを指すのではなく、「ガンダムシリーズ」全体に登場する他のモビルスーツやモビルアーマー等と呼ばれる機動兵器、および艦船など、商品としてプラモデル化されているもの全ての総称として用いられる。世界に多くのガンプラファンがいる。

概要

ガンプラの製造・発売元は、作品制作元のバンダイナムコフィルムワークスサンライズ)と同じバンダイナムコグループの企業であるBANDAI SPIRITS(2018年4月1日付でバンダイのホビー事業部を吸収分割により譲受)[1]で、「ガンプラ」という言葉自体は、ガンダムシリーズの版権管理を手がける創通登録商標[注 1]になっている。ガンプラは日本のプラモデル史上最大のヒットで[2]、バンダイを模型業界のトップに押し上げた原動力となった。

なお、組み立て式プラモデルではないハイコンプロシリーズが「完成済みガンプラ」として宣伝されるなど、厳密な区別はされていない。BANDAI SPIRITSが販売するガンダムの模型製品には、金属部品を併用し、「フィギュア」と分類・呼称され、消費税込みの価格が10万円を超えるものもある[3]

キャラクターモデルとしては異例なほど長期シリーズとなったガンプラは時代ごとの要請を取り入れ、本編劇中に未登場の機体の開発(ジャブロー攻略用水中用MS群・MSV・MS-X・ビルドシリーズ、等)・色プラ(多色成型)・システムインジェクション・ポリキャップやABS樹脂やKPS(強化ポリスチレン)樹脂といった新素材の採用、接着剤不要のスナップキットの登場、内部フレームの再現、関節の可動範囲の拡大、ガンプラ改造作例から次回設計へのフィードバック、メカニカルデザイナーによるアニメ設定画稿のリデザイン(再解釈)、3D CADの採用、等で、現在では組み立てるだけでアニメ劇中や設定に近い色分けや作中のポーズに出来る事は当たり前となっている[4]

ガンプラは、1980年7月の「1/144 ガンダム」販売開始から起算して、2019年4月までに2000種類以上、累計5億個を出荷している。パッケージを5億個並べると地球4周分、積み重ねると約16万kmの高さになるという[5]。近年は日本のみならず世界中で販売されており、2014年度単年度では総出荷数1100万個のうち約3割に当たる330万個を海外に出荷した[6][7]。特に人気が高いのはアジア地域で、韓国には2014年度の海外総出荷数の約3割に当たる100万個を出荷している[6]。また、元々日本の漫画文化が浸透していた台湾中国などでも、日本とそれほど変わらない感覚でガンプラが受け入れられている[7]。欧米ではファーストガンダムより、平成ガンダムシリーズに分類される『機動武闘伝Gガンダム』や『新機動戦記ガンダムW』など、近年では『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダム00』の人気が高いことから、それらを中心としたガンプラが販売されている[8]。また、三国志演義をベースとしたSDガンダムBB戦士三国伝』は、三国志になじみ深いアジアのほか、アメリカなどの市場で人気がある[8]。価格については輸出のコストや関税の関係から、日本での販売価格より基本的に高い[8]。海外重要の高まりを受け、HGUCではNo.201のストライクフリーダムガンダム以降、パッケージや組み立て説明書に英文の併記、CEマークや各種ピクトグラム[注 2]の記載といった輸出対応が行われた。

ガンプラブーム後も後続の作品群・ガンダムシリーズの展開に合わせて数多くのキットが発売され、旧作のキットも再生産や、HGUC(ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー)へのモデルチェンジが行われている。1990年代中頃よりMG(マスターグレード)パーフェクトグレード(PG)、リアルグレード(RG)といった高級モデルも展開された。模型店、玩具店以外にも家電量販店など販売場所も増えている。

2000年代に入るとプラスチック原料の原油価格高騰の影響で価格は上昇傾向にあり、2008年2月27日には、検討中という形で、MGとHGUCの定価を5月頃から現在よりも10パーセントから20パーセントほど引き上げるとバンダイが公表していた。これは全商品を一気に上げるのではなく、再発売時にそのモデルから値上げという形を取るものとしている。ガンダム00シリーズに関しては、最初からその価格上昇分を見越した価格設定だとされている。バンダイ広報部は「新たなパーツやブックレットを付けるなど、付加価値のある商品仕様に変更して、価格を改定する」としている。2008年9月に再版の「SDガンダムちーびー戦士」シリーズは、全商品が初版よりも100円から200円上乗せされた価格で販売された[注 3]。ただし、2015年4月時点において、他の発売済ガンプラの価格変動は生じていない。

ガンプラブーム後も販売は継続され、その人気の根強さはバンダイに「男の子のサンリオ的な商品としてガンダムを育てあげたい」[9]という方針を取らせた。

ガンダムシリーズの新作製作やリメイクメディアミックス展開が2018年時点でも続いていることもあり、ガンプラは根強い人気を保っている。この人気をうけ、2017年8月19日にはガンプラの総合施設「THE GUNDAM BASE TOKYO」がダイバーシティ東京プラザに作られ[10]、ガンプラファンたちに好評を博している。

歴史

『機動戦士ガンダム』放送

『機動戦士ガンダム』は放送終了間際になって人気が過熱した作品で、再放送にて人気に火が付いた形となった作品である[11]

テレビ放送時のスポンサーはバンダイではなく、玩具メーカーのクローバー社であり、ガンダム関連商品の販売を手掛けていた[11]。だが、それらは従来通りの児童向け合体玩具などであり、当時のロボットアニメのキャラクタービジネスとしては当たり前のものであったが、ガンダムのファン層と対象購買層が若干乖離していた[12]。一方、当時のバンダイは『宇宙戦艦ヤマト』のプラモデルの販売を手掛けていたが、『ヤマト』のファン層が従来よりも高年齢層であり、それまでのおもちゃ的商品よりも『ヤマト』に登場した艦艇のスケールモデルの人気が高いことを把握していた[12]。これはそれまでのキャラクターもののプラモデルとは異なる構図であり、今回の『ガンダム』にも状況が似ていた[12]。遂にはバンダイに「ガンダムのプラモデルを」との要望が多く寄せられることとなった[12]

ガンプラ販売前夜

ガンプラが販売される前から、模型ファンによるフルスクラッチモデルの制作などが行われており[13]、モデラーの岩瀬昭人が制作したフルスクラッチビルド(完全自作)「ザク」は模型店に参考品として展示されていたものを模型雑誌『ホビージャパン』がいち早く紹介した[13]。これを切っ掛けに同誌のモデラーたちがガンダムをテーマとした作品を投稿するようになり、人気が過熱していった(後述)[13]

また、テレビ版のスポンサーであるクローバーが製造し、ガチャガチャで販売されていた「ガンダムの消しゴム」(後のガシャポン戦士シリーズとは別)、通称「ガン消し」も、モデラーやファンたちの手によってジオラマ制作などに用いられた[14]。この「ガン消し」を用いたミニジオラマは『ホビージャパン』別冊『How to build Gundam』にも、モノクロ写真が掲載されていた[14]。「ガン消し」は塩化ビニールフィギュア製なので、ベンジンに漬けると可塑剤が抜けて硬くなるため、これに塗装や針金を通した改造などを行うことができた[14]。ちなみに「ガン消し」はテレビ放送中から販売が開始され、第1弾から第6弾まで販売された[14]。シリーズを追うごとに造形やクオリティは向上していったものの、当時はブックレット等が付属しなかったため、詳細は不明な部分が多かったという[14]

後のガンプラと同様に、登場したモビルスーツやモビルアーマー、船舶、陸戦艇、バギー、キャラクター等が出尽くした第6弾では、ガンダムの初期企画案「ガンボイ」や、後の「ガンタンク」、MSV(モビルスーツバリエーション)より「ザクキャノン」「ザク・デザートタイプ」までも販売されていた[14]。クローバー倒産後はバンダイが金型を引き継いで販売を継続していたが、「SDガンダム」の販売が開始されるとその役目を終えた[14]

開発

1979年12月、バンダイは『機動戦士ガンダム』のプラモデル商品化権を取得し、同時に設計・開発がスタートする[15]。低視聴率による打ち切り決定後、人気が盛り上がっていくことを実感し、売れると信じての商品化権の取得ではあった[15]。だが、キャラクターモデルとしては人気が旬である間にできる限り早く商品化する必要もあり、マーケットリサーチに十分な時間をかけている余裕はなかった[15]

当時のキャラクターモデルのラインナップは300円と700円の2シリーズで展開されることがパターンとなっていたため、ガンダムに関しても従来通り価格帯を300円と700円にすることになった[16]。商品化第一弾は発売価格300円のガンダムのプラモデルと決まる[16]。開発・設計責任者の松本悟は、その設計センスを高く評価していた村松正敏にメイン設計を任せようと決めていたという[16]。一方の村松も「自分にやらせて欲しい」と申し出ていた[16]。なお、「1/144スケール」とならなかったのは、設計がスタートした時点で、会社の開発方針として、明確なスケール設定が無かったためである[15]。1980年当時のバンダイ模型のカタログには、ガンダムのプラモデルの発売の告知とともにサイズは「大」「小」の2種の表記がある[17]。加えて『宇宙戦艦ヤマト』の影響から、当初から(同じ宇宙艦艇である)ホワイトベースムサイがラインナップされている[18]

村松は「前面と側面の2面図しかなく、図面にすると正面図と側面図とで位置が合わない部分があり、つじつまを合わせるのに苦労した」と当時を振り返っている[19]。また、「特に大変だったのは足首だった」と語る[19]。これはハメ合わせが固いと動かなくなり、緩いと直立させた時にグラグラするので、ある程度の硬さが必要とされたためである[19]。村松は「金型屋さんには苦労を掛けた」とも振り返る[19]。両足の角度についても、外側に3度開いている[19]。無論、両足を真っ直ぐに揃えてしまえば設計としては簡単ではあったが、足を開いていると踏ん張っているように見える[19]。つまり、キャラクターモデルとしてのカッコよさ、見栄えが良いことからの採用となった[19]。また、それまでの戦車や車の模型作りで、出来るだけ面を平らにせず丸みをつけることで安っぽく見えないと把握していたため、300円ガンダムにもこれが取り入れられた[19]。これにより、腕やもものパーツは表面に丸みを帯びたものとなった[19]。成形色に関してもテレビ画面では白く見えるものの、セル画では純白ではなくやや竹色がかった白であったため、それを踏襲したものとなった[20]

設計図面が完成し金型製作が進められていた頃、村松はスケール表記の必要性を感じていた[16]。そこで完成した図面を改めて計測しスケールを算出してみると、ほぼ1/144(144分の1)スケールであることが判明する[16][注 4]。村松は設計図面に「1/144」と書き込んだ[16]。加えて松本に「ほんのちょっとだけ違うけど、1/144スケールで行こうよ」と進言したという[16]

「700円ガンダム」に関しても、明確なスケール設定が無いまま設計が行われたが、1/144ガンダムと同様にスケールを試算したところ、1/97スケールであることが分かった[16]。こちらも誤差の範囲内として「1/100スケール」となった[16]。ただ、スケールモデル的だった1/144ガンダムに比べ、1/100ガンダムはクローバー社のダイカスト製玩具の影響を強く受けていたため、極めて玩具的となっていた[16]。全体のプロポーションは良好であったものの、コア・ファイターが剥き出しの胴体、脚部付け根が固定、肩に設定にはないミサイルランチャーが付き、バネによってミサイルが飛ぶというギミックが組み込まれていた[16]。1/100ガンダムはテストショットが上がると同時に、大幅な金型改修が施されることになる[16]。剥き出しのコア・ファイターは諦めざるを得なかったが、「ハイパーバズーカ」の追加[16]をはじめ、肩のミサイルランチャーは手持ちの武装になった。

販売開始

電子戦隊デンジマン」等他の作品も含めて\300、\400でシリーズ化されていた「ベストメカコレクション」の第4弾として、『機動戦士ガンダム』の初回テレビ放送終了から6か月後の1980年7月19日[21]に「1/144 ガンダム」の販売を開始した[12]。これが初の「ガンプラ」となった[12]。1/144スケールで1個300円と、男児向け玩具としては超合金シリーズ等と比べて低価格であった。なお、「1/100ガンダム」も同じく7月発売であるが、同時発売ではない。ボックスアート(箱絵)に関しても、モビルスーツのほかにパイロットが描かれるという異例のものとなった[22]。それまでは「お約束」として、キットに付属しないものは描かないというのが通例だった[22]。「箱絵に描かれているのに、キットに付属しないのはなぜか?」とのクレームや誤解・混乱を配慮してのことであったが、これはガンプラのキャラクター性を高めるのに役立った[22]。1/144スケールでは「量産型ゲルググ」や「ドダイYS」などの一部を除いて、多くのキットの箱絵にパイロットが描かれた[22]。やがてガンプラの知名度の上昇や、箱絵のイメージイラストとしての雰囲気を前面に押し出す形となったことで、1982年6月発売の「1/250・1/550ザクレロ」を最後に収束となった[22]

ガンプラ初の宇宙艦モデルである1/1200スケール「量産型ムサイ」(1980年8月発売)[23]を経て、1/144スケールの第2弾は「シャア専用ザク」と決まり、1980年9月に発売となった[24]。だが、「1/144 ガンダム」での教訓から金型納期の短縮を考慮し、ヒザ関節は可動するものの足首は固定となった[25]。足首が曲がらないことに対して社内で議論にならなかったわけではなかったが、大きな問題とはならなかった[25]。しかし、発売から1年後に漫画『プラモ狂四郎』の作中で、それが弱点として取り上げられるほど、ファンの関心は高かった[25]。ちなみに1/144スケール第3弾となった「改良強化新型グフ」(1980年11月発売)では、ザクと似た形状ながら足首は可動式となった[26]。また、ガンプラの設計担当者たちは、自分の担当するモビルスーツの関節機構やプロポーションの改善に、秘めたるライバル意識をもって競い合っていったという[27]。結果として、ガンプラは新作が発売されていくにつれて関節ギミックが進化し、前後可動から左右にスイングするようになっていった[27]。また、肩関節についても前後へのスライド機能を持たせたことで、マシンガンなどの武器を両手で構えられるようになった[27]

1/100スケール第2弾は「ドム」(1980年10月発売)となったが、第1弾のガンダムから一転し、余計なギミックを一切排除したものとなった[28]。また、穴の開いた拳に武器を差し込むのではなく、武器と一体化した手首を採用したのは、この「ドム」が初となった[28]。価格は700円ではなく800円で、後述の「アッグシリーズ」を除けばこの「ドム」と「ゴッグ」(1982年3月発売)のみ[28]

なお、発売済みのガンプラについても改良が加えられていった[25]。たとえば「1/144 ガンダム」は、当初ビームサーベルのパーツが2本しか付属しなかった[25]。これでは背中のランドセルに収納した状態を再現して制作した際、サーベルを切断して短くしなければならず、手に持たせられなくなる[25]。そのため、バンダイのお客様相談センターには「ビームサーベルのパーツを分けて欲しい」という部品請求が急増した[25]。バンダイ側は第3回目の追加生産の際に、ランナー外にビームサーベルを追加で彫刻したという[25]。「1/100ガンダム」についても、初期はシールドの十字マークは水転写シールで表現されていたが、後の追加生産に際して立体モールドに変更された[29][注 5]。こういった改善・改修は近年でも見られ、例えばHGUC(ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー)第8弾の「ズゴック」は、成形色を変更した第19弾「シャア専用ズゴック」販売に際して、手足の蛇腹関節固定の強化と腰の回転の追加改修(胴体部分のパーツの左右に切り欠きが大きくなった)が行われ、以降「ズゴック」もこの金型が使用されている[30]

クリスマスシーズンを目前にした1980年12月には、1/144スケール第4弾の「量産型ズゴック」と共に、ガンプラ初の1/60スケールモデルとして「ガンダム」「シャア専用ザク」「量産型ザク[注 6]の3種が発売となった[31]

日本では航空機と船舶の模型は学習教材として扱われた経緯(模型航空教育)から、「組み立てる模型」の流通は文房具の問屋が担当しており、販路は文房具店の他にも雑貨店や駄菓子屋など子供の通学路にあり登下校時に立ち寄れる店舗が含まれていた[32]。この流通経路の広さがガンプラのヒットに繋がったという指摘がある[32]

ガンプラブーム

最初は同時期の子供向けロボットプラモデルの中では、特に目立つ商品では無かったが、1981年2月ごろから急に売れ出したという[33]

要因としては、テレビ再放送によるファン層の拡大、1980年10月に劇場版の製作が発表され、その公開が3月に迫っていたこと、モデラーがミリタリーモデル(実在の兵器のモデル)の発想で改造を施した作例が、模型雑誌『ホビージャパン』別冊の『How to build Gundam』に発表されたことなどから、小中学生を中心にブームが起こった。これに300円という低価格帯と、如何に綺麗に塗装・仕上げができるかという競争心、「アニメは幼児のもの」というイメージの払拭も重なった[33]。1981年に創刊された講談社の『コミックボンボン』はガンプラを前面に押し出した誌面構成を行い、ガンプラとは無関係な小学館の『てれびくん』も、一時期ガンプラ特集を掲載していた時期があった。

市場の需要に対して供給が間に合わず、中小の小売店でガンプラの慢性的な品切れ状態が続いた。そんな中にあった1982年1月24日には、千葉県ダイエー新松戸店でガンプラを購入しようと開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が発生する。十数名が負傷し、そのうち4名が重傷を負った大事件として、翌日の新聞の社会面に大きく取り上げられることになる[34]。また、ガンプラの人気を表すとともに、ガンダムを知らない人々にもその名を知らしめるきっかけとなった[34]

この事件に対し、「品薄感により購買意欲をあおる」ことの是非を問う論調が新聞各紙で見られた[34]。確かに、ブーム以前はなかなか手に入らない生産数にして子供たちの購買欲を大きくすることも、戦略的に考えられていたという[34]。だが、実際には需要は既に工場が受発注できる限界を遥かに超えていた[35]。工場は人員も金型も24時間フル稼働の状態で、事故が起こる前月の12月には月産400万個を製造していたが、それでも需要には全く追い付かない状況だった[35]。ただ、金型については増設を行わず一つの金型で生産が行われていたことも事実であった[35]。当時の金型は基本的には木型から作り、最後は職人による微調整・仕上げを行っており、厳密には同じ金型を作ることはできなかった[35]。この違いを嫌って金型の増設を行わなかったとされる[35]。他にも、金型の増設は縁起が悪い、などという話もあるとされる[35]。結果として一つしかない旧キット1/144ガンダムの金型は、当初想定されていた約14倍[35]、約700万個以上のプラモデルを製造したという[36]

一方で品薄による他の商品とガンプラの抱き合わせ販売[37]、ガンプラを購入できた子供からの「ガンプラ狩り[38]、出荷前の工場に直接出向いて直談判[38]、さらには工場に忍び込む者まで現れたという[38]

ブームによる模型人口の増加も加わって、1981年のプラスチック模型全体の売り上げが前年比1.5倍の約550億円(小売価格)に膨らんだ[33]。ただ、「アニメ主体なので、一旦人気がなくなると急に衰える」との見立てから、1982年1月のいわゆる「お年玉効果」後も売れ続けるとの見方は少数だとされた[33]。だが、それ以降もガンプラは新製品が発売され続け、登場した兵器のほぼ全てを商品化した後はアッグシリーズのような本編未登場モビルスーツのキット化を経て、「モビルスーツバリエーション (MSV)」へと繋がっていく。これらの一部は、後に製作された『機動戦士Ζガンダム』『機動戦士ガンダムΖΖ』に追登場した他、ガンダム以外のサンライズ作品(『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『銀河漂流バイファム』『重戦機エルガイム』)等のメカや兵器もキット化された。

ガンプラの品薄状態に便乗して、名前やパッケージを似せた類似商品(「ザ★アニメージ」「モビルフォース ガンガル」等)やガンプラに対抗するアニメを題材にしたシリーズ(「アニメスケールシリーズ」「伝説巨神イデオンシリーズ」「魔境伝説アクロバンチシリーズ」「超時空要塞マクロスシリーズ」「Dr.スランプ アラレちゃん1/144 M.Sリブギゴ 」等)も出回った。

ブーム後のガンプラ

1980年代中盤にはブームは沈静化する[39]。バンダイ模型はバンダイホビー部として新体制になったばかりであり[39]、役員からも「ブームは終わったのだから、次の企画を」との声もあったが、前述の「モビルスーツバリエーション (MSV)」などの派生商品を展開していった[39]。さらにサンライズと組んで新しいロボットものを作っていく方針を取ることとなり、1985年には『機動戦士Ζガンダム』のメインスポンサーとして新作ガンプラを展開していった[39][注 7]。『Ζ』以降も製品の開発・生産技術を高め、イメージの再現性を上げていった[39]。これは1990年にガンプラ10周年を記念して発売されたHG(ハイグレード)シリーズへとたどり着く[注 8][39][40]


注釈

  1. ^ 第2403656号、第4801157号、第5343484号。なお、住友電気工業も原料プラスチックの分野で同一の商標を取得している。
  2. ^ 「3歳未満の子供に与えないでください」「組み立てにはニッパーが必要です」「接着剤は必要ありません」の意味を持つもの。
  3. ^ 2007年から2008年にかけて再発売されたキャラクターモデルも当時より価格が上乗せされて販売されているものがある。
  4. ^ 厳密には1/142スケール。
  5. ^ 現在でも販売されている箱側面の完成品見本に名残がみられる。
  6. ^ 量産型ザクは初の立体化で、1/144スケールは年明けの1981年1月発売、1/100スケールは1982年9月発売となった。
  7. ^ その後1994年にサンライズをバンダイナムコグループ傘下にしてガンダムシリーズ知的財産権を獲得、2022年にはバンダイナムコフィルムワークスに改称しており、バンダイ自身が商品展開のためにガンダムシリーズの新作を制作している。
  8. ^ だが、1/144スケール300円だったものが、HGだと1000円。「これで売れなかったら松本、責任とれるのか?」と言われたと松本は当時を振り返っている。だが、「よりハイグレードのものを指向するのがプラモデルの本質だと信じていた、結果としてHGは売れたのでMGPGへと繋がった」とも語っている。ちなみにHGの名称は当時販売されていた12時間録画ビデオ「HGビデオ」からとったものだという。
  9. ^ 筆塗り/スプレー共にMr.カラーシリーズ(当然薄め液もMr.カラー用)とされており、ラベルにもMr.カラーのロゴが入っている。
  10. ^ バンダイホビーセンター限定品。生産工程で出る端材や、補修用部品を切り取った後のランナーなどを集め、粉砕・再溶解して成形した製品。成形色は黒。なお、ガンプラに限らず、成形段階で出たランナーの再利用は、(よほど品質に厳しいものでない限りは)一般のプラスチック成型工場では恒常的に行われている。
  11. ^ ベストメカ・コレクションのNo.1はダイデンジン。また、他にもダイナロボゴライオンウルトラマン80のシルバーガルやスカイハイヤーなどの商品がラインナップされていた。シリーズは58光速電神アルベガスで終了。ガンプラコレクションでは作業用ザクがベストメカ・コレクションには存在しなかったNo.59として登場している。
  12. ^ 時系列的にこれより後となる『機動戦士ガンダムF91』『機動戦士クロスボーン・ガンダム』『機動戦士Vガンダム』からのキット化は2013年より行われている。
  13. ^ ネット限定品にはなるが、バンシィ(最終決戦仕様)、クロスボーン・ガンダムX2、クロスボーン・ガンダムX3、νガンダム HWS、クロスボーン・ガンダムX2改、強化型ZZガンダム、V2アサルトバスターガンダム、クロスボーン・ガンダムX1(パッチワーク)の8種類も期間限定による受注生産販売をしている。
  14. ^ なお、発売当時この3種はHGUC(ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー)では商品化されていなかった。
  15. ^ ボックスアートも旧キット1/144の物をCGで再現した物になっている。
  16. ^ 一年戦争時のガンダムタイプGMシリーズなど。
  17. ^ そのため、アドバンスドMSジョイントのランナーには成形材としてABSとPPの両方が打刻されている。
  18. ^ ただし、トールギス EW以降は本体フレームの大半をKPSで構成する製品が増え、逆にアドヴァンスドMSジョイントは組み立てが困難な部位(サザビーの腰部アーマー基部やフォースインパルスガンダムの胸部等)やオプションパーツの骨組み(νガンダムのフィンファンネルやクロスボーン・ガンダムX1のスラスター等)に採用されるに留まる。
  19. ^ 但し、変形時に一部パーツを外す必要がある。
  20. ^ 一方で、HGではシールで対応していた表現(例えば、シナンジュの金と黒のエングレービング部分など)を中心に小型あるいは成形が薄いパーツが多く、Ζガンダムでは組み立てや変形作業でのパーツの破損が多発する原因ともなった。
  21. ^ マニピュレーターの指関節が全て可動するキットなど(例:MG νガンダムVer.Ka)。
  22. ^ アドヴァンスドMSジョイントは採用されていないが、初号機のみシステムインジェクションを採用している。
  23. ^ Vガンダムの1/144シリーズ、BB戦士の一部キットやケロロ軍曹のシリーズ等、1990年代前半のバンダイ製プラモデルの一部に採用された事はあった。
  24. ^ 腕部や脚部が、組み立て済みの内部関節を軟質素材で被覆成形した構造であり、肘や膝が可動しながらも関節部品が見えないのが最大の特徴。
  25. ^ 「シャア専用ゲルググ」の金型を母体にした「リゲルグ」や「ジョニー・ライデン専用ゲルググ」(2種ともプレミアムバンダイ限定)では、もともとABSで成形されていたパーツを、ランナー丸ごとKPSで置き換えた成型品が入っている。なお、「シャア専用ゲルググ」及び「量産型ゲルググ」(こちらは一般発売)も2018年8月生産分より前述の仕様に変更された他、それ以外のABS製のパーツを使用した製品の一部も、近年生産された際にKPSに置き換えられている。
  26. ^ これの極致が、「MG 1/100 ターンX」と言える。「体のパーツが関節部位で分離してオールレンジ攻撃が可能」という設定を再現するため、関節の可動部分がすべてKPSの組み合わせで構成されており、マスターグレードの中でも大型のサイズでありながら、ボディを構成するパーツにはポリキャップやABSが全く使われていない(オールレンジ攻撃を再現する展示用スタンドはABSだが、やはりポリキャップは使われていない)。
  27. ^ 機動警察パトレイバー」のプラモデルにて、関節の被覆に多用されている。
  28. ^ 実際にこれを行っている例として、HGUCのジェガン、スタークジェガン、ジェガンD型、ジェガン(エコーズ仕様)がある。元々のジェガンのキットが、『機動戦士ガンダムUC』のOVA製作段階に企画されたためである。
  29. ^ 但し『ラブライブ!サンシャイン!!』に関しては静岡県を舞台とする作品であることから"Made in 静岡"となっている。
  30. ^ 実際には、当時はMGシリーズは存在していない。

出典

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  2. ^ 日経産業新聞』1982年2月16日
  3. ^ 日経MJ』2019年6月21日ライフスタイル面「9万3000円はダテじゃない!!」(「METAL STRUCTURE 解体匠機 RX-93 νガンダム」の紹介記事)。
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