帰投とは? わかりやすく解説

き‐とう【帰投】

読み方:きとう

[名](スル)艦船・航空機兵隊などが基地帰りつくこと。「本隊に—する」


帰投

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 16:29 UTC 版)

インメイト作戦」の記事における「帰投」の解説

夜間攻撃が終わると、第111.2任務群はマヌス島への岐路についた6月16日日本軍機がレーダー捉えられ戦闘空中哨戒中のシーファイア1機が迎撃に向かわされたが、その機は機械的な問題のため任務断念せざるを得なかった。任務群は6月17日マヌス島到着。他のイギリス太平洋艦隊部隊7月4日到着するまで訓練続けた。そして、全艦艇7月6日マヌス島から出撃して日本本土攻撃へと向かった

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帰投

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 20:51 UTC 版)

坊ノ岬沖海戦」の記事における「帰投」の解説

アメリカ軍機の撤退同時に、各艦は脱出者の救助開始した駆逐艦冬月吉田正第四十一駆逐隊司令先任指揮官自分であると判断すると、15時52分に連合艦隊司令長官軍令部総長海軍大臣にあて「1141ヨリ数次ニ亙ル敵艦上機大編隊ノ攻撃ヲ受ケ 大和矢矧磯風沈没 浜風涼月航行不能 其ノ他ノ各艦多少損害アリ 冬月初霜雪風救助ノ後再起ヲ計ラントス(1445)」と発信した冬月艦橋から望遠鏡海上探索し2隻の内火艇指示して救助進めた第二艦隊参謀長森下は同副官石田少佐と共に冬月内火艇救助された。雪風からも負傷者救助のため2隻の内火艇降ろされ救助切り上げ直前まで重傷者や体力尽きて動けない兵を拾い上げた頭部負傷し漂流意識失った大和副長の能副長補佐らに支えられ雪風救助されている。能襟章判別できない重油汚れ救助後雪風の兵が懸命に張り手加えて意識回復しなかったが、そのまま縫合手術受けて生還した16時39分、第一遊撃部隊指揮官対し連合艦隊作戦中止乗員救助の上佐世保への帰投を命じたGF電令作第616号、二水戦の受信17時50分)。第二水雷戦隊司令官の古17時20分、初霜救助され二水司令部初霜移乗すると共に第一遊撃部隊指揮権継承作戦継続電報起案していたが、暗号翻訳中作戦中止命令受信特攻作戦中止至った。 この海戦日本側は、大和矢矧浜風撃沈され、航行不能となり冬月処分された。磯風自力北方向かった航行不能となり、雪風による曳航試みる。だが初霜二水司令部)からの下令放棄決まり午後10時40雪風処分された。また機関故障により単独行動中の朝霜撃沈され、駆逐隊司令部含め全員戦死した涼月艦首失った後進佐世保帰還したものの、ドック内部擱座した。 被害少なかった冬月雪風初霜の3隻の駆逐艦大和生存者280名、矢矧生存者555名と磯風浜風生存者800名以上、1706名(戦闘詳報)を救助したが、第二艦隊司令長官伊藤戦死後大将)、大和艦長有賀(同中将)を始め推定3,721名がこの戦いで戦死した昭和20年7月連合艦隊司令長官布告した戦死者総数は4,044名。 アメリカ軍機の多く日本側から対空砲火を受け損傷負い、5機が撃墜され52機が被弾損傷で、内5機が経済的修理不能として海上投棄され、2機が不時着水した。1機が往路原因不明墜落で、実質的損失13であった乗員のうち何人かは水上機潜水艦救助された。アメリカ軍戦死行方不明合計13であった。また大和沈没後に五航艦の戦闘三〇飛行隊が坊ノ岬260100キロ付近海面F4Uコルセア戦闘機3機を撃墜した報告している。 14時43分、最後アメリカ機の編隊大和生存者機銃掃射浴びせるために出撃した。大戦通じてアメリカ軍などの連合軍が行ってきた沈没船生存者への機銃掃射はこのときも現出し、古司令官・能副長吉田満少尉をはじめ多く第二艦隊生存者が、このときアメリカ軍機の機銃掃射受けた証言している。航行不能となった磯風周囲を漂う日本兵沈没した矢矧生存者に対しても、撃墜され味方敵討ちとしてアメリカ軍爆撃隊が機銃掃射浴びせた星亮一はこれらの機銃掃射計画的な人間狩りであった批判している。英国人ジャーナリストのラッセル・スパーは坊ノ岬沖海戦について記した著書において、第二次大戦当時アメリカ人絶望的な状況敵国人殺戮することに気がとがめることがなく、日本人に対しては、捕虜への虐殺行為神風特攻異常な狂信主義報告があったため、「(当時アメリカ人は)日本人人間出来損ないであり慈悲をかけるのに殆ど値しない信ずるようになっていた」と指摘している(スパーは「彼ら(日本特攻兵)はアメリカ人想像した様な狂信者ではなく、彼らの殆どが充分に考えた上で恐るべき決意到達した献身的な息子たちだった」と伝えている)。 一方で日本軍艦艇救助作業中の無抵抗敵兵発砲したとする証言日米両軍残されている。アメリカ海軍第三雷撃中隊第二分隊副隊長であるディラニーは大和高角砲撃墜され部下2名と共にパラシュートで機から脱出海面への着水成功した。ディラニーは救命筏アメリカ軍パイロット救命チョッキ空気により膨らみ筏となる構造だった)にしがみ付き二時漂流した後、味方PBMマーチン飛行艇)2機に発見されたが、この時近く海上冬月初霜がいた。2機の内、スイムス大尉機長務めPBM対空砲火からディラニーを逸らすため危険を犯し日本艦隊方向飛んで行き、もう1機のヤング大尉機は水上滑走しながら着水してディラニーの救助当たった所、これを見た日本駆逐艦砲撃加えた第二水雷戦隊戦闘詳報によれば冬月PBM向けて発砲したとある。この後冬月救助される吉田満も、冬月飛行艇発砲する光景目撃しているが、彼はまだ航空攻撃反撃しているものと思っていた。初霜では艦長である酒匂命令受けた砲術長が12.7センチ主砲PBMを数発撃った。この発砲について、酒匂は「飛行艇追っ払え命じ落とせとは一切言わなかった」と述べ命令を受け発砲した砲術長の藤井は、無抵抗日本兵生存者には機銃掃射浴びせる反面自国パイロット救助するアメリカ軍行動腹を立てていたと述べている。同じく初霜松井中尉も「射程距離であった事はわかっていたが威嚇のため2、3撃った」と証言している。一方のディラニーの証言には「(駆逐艦は)射撃しながら接近してきた」とあり、ヤング大尉機の搭乗員は、日本駆逐艦主砲弾は飛行艇向かって泳ぐディラニーの200ヤード以内落ちていたと証言している。ヤング大尉機はディラニー中尉収容して飛び立ったが、ディラニーの部下2名は発見できなかった。2機のマーチン飛行艇救助活動終えると、帰り際大破炎上して航行不能状態だった涼月に対して機銃掃射浴びせている。 抵抗力失った敵兵対す発砲報復動機とした攻撃同調しなかった将兵らの記録残されている。アメリカ軍機動部隊第9攻撃隊のビル・バワーズ少尉は、同僚パイロットたち漂流中の日本兵機銃掃射浴びせる行為野蛮感じ、「俺はこの攻撃パターン入らない」と空撃ちした。大和主砲指揮所で弾着修正手を務めた小林健水兵長も、彼を救助した駆逐艦アメリカ軍攻撃機機銃掃射受けたが、編隊のような纏まった形ではなく1、2機による散発的なのだった証言している。小林水兵長証言の中で機銃掃射受けたとされる駆逐艦雪風で(小林水兵長の「大和生存者救助した」、「1930以降長時間戦闘海域救助活動続けた」の証言雪風行動記録合致する)、他の大和乗員雪風敵機攻撃があったため艦を低速動かしたまま味方救助行った回想しているが、その雪風アメリカ軍飛行艇近く着水してアメリカ軍パイロット救助する姿を発見しても、艦長士官指揮下、彼らに攻撃加えることをせず、味方日本兵救助のみ行いその場去った雪風艦上では上述マーチン飛行艇による涼月への機銃掃射目撃され将兵らを激怒させたが、雪風報復行為行っていない。 4月8日午後5時、日本軍は「我が特別攻撃隊航空部隊並に水上部隊四月五日夜来沖縄本島周辺敵艦並びに機動部隊反復攻撃し特設航空母艦二隻ほかを撃沈又は撃破したが、我が参加部隊のうち戦艦一隻巡洋艦一隻駆逐艦三隻が沈没した」旨の大本営発表おこなった4月13日第二艦隊参謀長である森下軍令部作戦経過報告した折、連合艦隊参謀長草鹿海上特攻隊員人事理について、航空特攻同様に取り扱うことを要望した。4月20日第二艦隊第二水雷戦隊解隊された。二水残存部隊は第三十一戦隊編入され三十一戦隊と第十一水戦隊連合艦隊附属となる。第一航空戦隊解隊され、葛城連合艦隊附属に、天城龍鳳呉鎮守府部隊編入隼鷹佐世保鎮守府部隊編入された。 なお、アメリカ海軍沖縄での特攻機による艦艇被害一切報道せず、大和その他の艦撃沈についてのみアメリカ陸軍記念日司令長官ニミッツ提督演説として、太平洋全部隊にむけ放送した日本軍に対しては、大和撃沈宣伝ビラをまいている。その後日本占領後の1945年昭和20年12月9日より開始されラジオ番組眞相はかうだ』において、GHQ坊ノ岬沖海戦および大和沈没を『世界最大のわが戦艦大和武蔵最後についてお知らせ下さい』という題で放送したアメリカ軍認識であるため、大和排水量被害艦艇など誤認している。

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帰投

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)

真珠湾攻撃」の記事における「帰投」の解説

機動部隊攻撃隊の収容備え真珠湾北方190海里にまで南下していた。 攻撃後は次席指揮官である第三戦隊司令官三川軍一中将から再攻撃意見具申があったが、第一航空艦隊司令長官南雲参謀長である草鹿進言もあり、予定通り離脱した第二航空戦隊司令山口多聞少将は「第二撃準備完了」と南雲信号送った第一航空艦隊参謀吉岡忠一少佐によれば、この信号準備をして知らせ決まりがあったための行動であるという。山口搭乗員参謀から再攻撃意見具申するべきと要望されたが、「南雲さんはやらないよ」と意見具申はしなかった。連合艦隊司令部では連合艦隊長官山本参謀数名が「再度攻撃第一航空艦隊司令部催促するべし」と進言したが、山本は「南雲はやらんだろう」「機動部隊指揮官南雲)に任せよう」と答え再度攻撃命令発しなかった。これにはこの時点催促して攻撃夜間攻撃翌朝攻撃となり、危険であるという判断もあった。 日本時間午前4時45分頃から6時過ぎにかけて第一次攻撃隊が帰投、第二次攻撃隊も7時前後には帰投した。最後に帰還したのは8時14分頃、被弾によるエンジントラブルエンジン回転数最低にして帰ってきた飛龍所属笠島一飛曹機だった。午前9時頃、艦隊北北西変針日本への帰路についた軍令部真珠湾攻撃南方資源要域攻略作戦終えて迎撃作戦準備が整うまでの間、アメリカ艦隊主力抑えあわよくば減殺企図するのを本作戦の主目的としていたため、一撃のみで損害避けた見事な作戦指導評価した一方山本空母喪失引き換えにしても戦争終わらせるダメージ与えたいという考えだったが、草鹿によれば南雲にはその真意知らされていなかったという。12月8日山本第一艦隊戦艦長門陸奥伊勢日向扶桑山城および第三航空戦隊空母瑞鳳鳳翔〉・三日月夕風)と護衛駆逐艦若葉子日初春初霜有明夕暮白露時雨)などを率いて瀬戸内海出撃した。南雲機動部隊収容のためという名目だったが、特に何もせず、対潜哨戒実施しつつ小笠原諸島附近反転したその際司令部付だった近江次郎曹長参謀藤井茂中佐に「野村大使の書類間に合ったか?」と尋ね山本目撃している。なお同日瀬戸内海では大和型戦艦大和試験航海終えて呉へ帰港中であり、豊後水道長門らとすれ違っている。 12月16日山口指揮下、飛龍蒼龍護衛利根筑摩および駆逐艦谷風浦風ウェーク島攻略支援向かったウェーク島の戦い)。12月23日機動部隊瀬戸内海柱島泊地入り作戦終了した12月26日異例ながら佐官による昭和天皇への真珠湾攻撃の軍状奏上が行われ、第一波空中攻撃隊長の淵田は艦船攻撃について、第二波空中攻撃隊長嶋崎重和少佐航空基地攻撃について奏上した。続く海軍大臣官邸での祝賀会では海軍軍事参議官参集したり、翌27日霞ヶ関離宮成人皇族達と面会するなど真珠湾攻撃成功大きく寿がれた。

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帰投

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 00:34 UTC 版)

名詞

きとう

  1. 航空機艦船などが基地戻ること。

発音(?)

き↗とー

動詞

活用

サ行変格活用
帰投-する



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