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三省堂 大辞林

三省堂三省堂

ふそう ―さう 0 【扶桑】

(1)昔、中国で、東方海中にあるという神木。日の昇る所という。また、その木のある地。扶木

(2)日本異名扶桑国
松島は―第一好風にして/奥の細道
(3)太陽
「全く―の光なし/中右記

ふそう ふさう 【扶桑】



難読語辞典

日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社

扶桑

読み方:フソウ(fusou)

東海の日のでるところ



季語・季題辞典

日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社

扶桑

読み方:フソウ(fusou)

仏桑花の別名

季節

分類 植物



地名辞典

日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社

扶桑

読み方:フソウ(fusou)

所在 北海道虻田郡倶知安町


扶桑

読み方:フソウ(fusou)

所在 栃木県小山市

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駅名辞典

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扶桑

読み方:フソウ(fusou)

所在 愛知県(名古屋鉄道犬山線)

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〒044-0062  北海道虻田郡倶知安町扶桑
〒323-0016  栃木県小山市扶桑


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扶桑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/06 03:54 UTC 版)

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扶桑(ふそう、拼音: Fúsāng フーサン、: Fusang)は、中国伝説で東方海上にある島国扶桑国とも)または巨木(扶木扶桑木扶桑樹とも)である。扶桑・扶桑国は、日本の異称ともなった。

目次

概説

古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。

のちの『梁書』以降は、東海上の島国と考えられるようになった。巨木の伝承は、その国では桑の木が多いという話に代わった。蔑称とする説もある一方では、古代の中国では、九州(九夷)[1]が扶桑の生えるところで「紫庭」としての憧れの地だった面があるという説もある。

文献

山海経

山海経』によると、東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。

下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝
(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)

『山海経』海経第4巻 第9 海外東經[2]

大荒之中 有山名曰孽搖頵羝 上有扶木 柱三百里 其葉如芥 有谷曰溫源谷 湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏
(大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(= 湯谷 ?)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみなを載せている)

『山海経』海経巻9 第14 大荒東經[3]

烏が乗る10の太陽という話は、三足烏の神話と共通である。

黒歯国の位置については『山海経』には記載がないが、史書

去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可
(女王・卑弥呼国から4000余里に裸国と黒歯国がある。東南に船で一年で着く)

三国志』魏書東夷伝[4]倭人条(魏志倭人伝[5]

其南有侏儒國 人長三四尺 又南黑齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至
(南に身長3~4(70~90cm、1尺≒23cm)の民の国があって、その南に黒歯国がある。から4000余里。船で1年で着く)

梁書』卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳[6] 東夷条 倭

とあり、日本から東南ないし南に4000余里(1700km余)ということになる。

淮南子

淮南子』には、扶桑の名は登場しないが、

朝發榑桑 日入落棠
(太陽はクワから昇り、コリンゴに沈む)

淮南子』覽冥訓[7]

とあり、もともと桑と棠(コリンゴ)が対になっていたことがわかる。

史記

史記』では

海外經云 湯谷在黑齒北 上有扶桑木 水中十日所浴 張揖云 日所出也 許慎云 熱如湯
(「海外経」によると、黒歯の北に湯谷があり、その上に扶桑木があり、水中で10の太陽が水浴びをする。張揖によると、そこが日の出の場所である。許慎によると、(そこの海水は)湯のように熱い)

史記』巻114司馬相如列傳 第57[8]

と、「海外経」(『山海経』海外4書)などから引用されている。

宋書

宋書』巻22志第12楽4(楽志)「白紵舞」歌の1つで

東造扶桑游紫庭 西至崐崘戯曾城
(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、崑崙に至りて曾城に戯る)

『宋書』巻22志第12樂志四[9] 載及 白紵舞 歌詩三篇之二

と、対句で崑崙と対にされ地名のように扱われている。タイトルの「(白)紵」(カラムシ)というのはに産する織物である。

梁書

梁書』によると、慧深(けいしん、拼音: Huìshēn ホイシェン)が普通年間 (520年527年)に扶桑という国からへやってきたという。扶桑の所在地については、倭国の東北7000余(3000km余、漢代の里 ≒ 434m、以下換算にはこの値を使う)に文身国が、その東5000余里(2200km余)に大漢国があり、大漢国の東2万余(8700km余)に扶桑がある。ただし、倭国・文身国・大漢国までについては地の文で事実として書かれているが、扶桑についてはその位置も含め、慧深の証言という形で書かれている。また、地の文の大漢国と慧深の言う大漢国が同じものかもはっきりしない。

扶桑國、在昔聞也。普通中、有道人稱自彼而至、其言元本尤悉、故扞録焉。(中略)扶桑國者、齊永元元年、其國有沙門慧深來至荊州、説云「扶桑在大漢國東二萬餘里、地在中国之東、其土多扶桑木、故以爲名。扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之、實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。無城郭。有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。其國法、有南北獄。若犯徑者入南獄、重罪者入北獄。有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大曾、坐罪人於坑、對之宴飮、分訣若死別焉。以灰繞之、其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。名國王爲乙祁、貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色随年改易、甲乙年青、丙丁年赤、戊己年黄、庚辛年白、壬癸年黒。有牛角甚長、以角載物、至勝二十斛。車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪。有桑梨、徑年不壊。多蒲桃。其地無鐡有銅、不貴金銀。市無租估。其婚姻、壻往女家門外作屋、農夕灑掃、徑年而女不悦、即驅之、相悦乃成婚。婚禮大低與中國同。親喪、七日不食、祖父母喪、五日不食、兄弟伯叔姑姉妹、三日不食。設靈爲神像、朝夕拜奠、不制縗絰。嗣王立、三年不視國事。其俗舊無佛法、宋大明二年、罽賓國嘗有比丘五人游行至其國、流通佛法、徑像、教令出家、風俗遂改。」慧深又云「扶桑東千餘里有女國(以下略)
(扶桑国の話は以前はなかったが、普通年間 (520年527年)、扶桑国から来たと言う者の話を記す。(中略)
永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。「扶桑の木」が多いことからその名がある。扶桑のに似て、生え始めはタケノコのようで、扶桑国人は食用にする。のようで赤く、その績いで布にして衣類や綿にしたり屋根を葺いたりする。文字はあり、扶桑の皮でできた紙に書く。城郭はなく、兵士や武装はなく、戦争をしかけない。
南北2つの監獄があり、軽罪の者は南獄、重罪の者は北獄に入る。南獄には恩赦があるが北獄にはない。北獄では男女を番わせ、生まれた男児は8・女児は9歳で奴婢とし、罪人自身は一生出られない。貴人が有罪となれば、穴の中に座らせ、酒宴を開いて処刑し、その上にを撒く。初犯なら当人が責を受けるだけだが、再犯なら子と孫、三犯なら7世に及ぶ。
国王の名は乙祁。貴人(「祁貴人」が王の名の可能性あり)の第1位は大対盧、第2位は小対盧、第3位は納咄沙と呼ぶ。国王が行くときには鼓笛を従える。その衣の色は年により変わり、年は青、年は赤、年は黄、年は白、年は黒である。
は非常に長く、20(540kg、1斛≒57kg)以上を運ぶ。馬車牛車にくわえ、鹿車がある。中国人が牛を飼うように、扶桑国人は鹿を飼い、から乳製品を作る。桑、梨、フトモモがある。はないが青銅か)はあり、はふんだんにある。市場では税金がかからない。
結婚するときは、婿が女の家へ行き、門外に建物を作り朝夕掃除する。女が喜ばなかったら取り壊し、喜べば成婚となる。結婚式は中国とほぼ同じである。
には7日間絶食する。祖父母は5日間、兄弟姉妹おじおばは3日間である。死者の霊を神像とし、朝夕拝む。(先王が死んで?)王の跡継ぎが立ったときには、3年間国事に関わらなかった。
かつては仏教はなかったが、大明2年(458年)、罽賓国ガンダーラカシミール近辺)から5人の僧が来て仏典仏像をもたらし出家を勧めたので、風俗は変化した」
また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり、(以下略、一部意訳))

『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國[10]

比定

日本

扶桑は日本の異名の一つとされる。1094年史書扶桑略記』のタイトルに初期の用例が見られる。

一方、1712年類書和漢三才図会』は「扶桑」の項で、『三才図会』からの引用(『梁書』の要約)の後、注釈で

ハクハ是當ルカ北東乎誤以爲日本而扶桑日本別號者不タラ
(疑はくはこれ北東に當たるかや、誤ちもつて日本とす。而して、扶桑の日本の別號なるは當たらず)

和漢三才図会』巻之十四 外夷人物「扶桑」

と、日本説を否定している[11]

平田篤胤 (1776–1843) は、文献で言及される扶桑の独自の文字を神代文字だとして日本説を強硬に主張した。

なお、愛媛県伊予市の森海岸に露出している郡中層にはメタセコイア等の多くの化石植物が含まれているが、この化石植物群は古くから扶桑木と呼ばれている[12]

北米

フランス人東洋学者ジョセフ・ド・ギーニュ Joseph de Guignes (1721–1800) は1761年、『梁書』に書かれた距離から扶桑は太平洋の対岸だと考え、文身国は蝦夷地北海道)、大漢国はカムチャッカ、扶桑はカリフォルニアだとした。それを受け、18世紀のいくつかの地図では、カリフォルニアの北方、現在のブリティッシュコロンビア州カナダ西海岸)あたりに扶桑と書かれている。

ドイツ人東洋学者カール・フリードリヒ・ノイマン Karl Friedrich Neumann (1793–1870) は1841年、ド・ギーニュ説を修正して道程をやや伸ばし、大漢国をアラスカ、扶桑国をメキシコとした[13]

架空説

白鳥庫吉 (1865–1942) は、慧深の証言は虚偽であり、扶桑国は実在しなかったとした。


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  1. ^ 隋書倭伝
  2. ^ Wikisource-logo.svg 郭璞序: 山海經/海外東經 - ウィキソース
  3. ^ Wikisource-logo.svg 郭璞序: 山海經/大荒東經 - ウィキソース
  4. ^ Wikisource-logo.svg 陳壽: 三國志/卷30 - ウィキソース
  5. ^ Wikisource-logo.svg 魏志倭人伝: 魏志倭人伝 - ウィキソース
  6. ^ Wikisource-logo.svg 姚思廉: 梁書/卷54 - ウィキソース
  7. ^ Wikisource-logo.svg 劉安: 淮南子/覽冥訓 - ウィキソース
  8. ^ Wikisource-logo.svg 司馬遷: 史記/卷117 - ウィキソース
  9. ^ Wikisource-logo.svg 沈約: 宋書/卷22 - ウィキソース
  10. ^ Wikisource-logo.svg 姚思廉: 梁書/卷54#.E6.89.B6.E6.A1.91.E5.9C.8B - ウィキソース
  11. ^ 和漢三才圖會 巻之十四 外夷人物”. 近代デジタルライブラリー. 2011年11月6日閲覧。
  12. ^ 観光情報 > 森の海岸・しおさい公園”. 伊予市. 2011年11月6日閲覧。
  13. ^ 高橋竜雄 『大日本国号考』 同文館、1900年、61-64頁。


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