風
『オデュッセイア』巻10 トロイアから故郷イタケへの航海の途中、オデュッセウス一行は風の司アイオロスの島を訪れる。アイオロスは、オデュッセウスと部下たちを歓待し、順調な航海ができるよう、逆風を革袋に封じてくれる。しかし部下たちが革袋を開け、船はアイオロスの島へ吹き戻される。アイオロスは、「戻って来たのは、お前たちが神々に憎まれている証拠だ」と言い、オデュッセウスたちを追い払う。
『風の神と子供』(昔話) 秋の日。見知らぬ男が村の子供たちに「良い所へ連れて行ってやろう」と言い、尻から長いしっぽを出して子供たちをまたがらせ、風を起こして天に舞い上がる。男は、栗や柿や梨の木がたくさんある所へ子供たちを下ろし、風を吹かせて果実を落としてくれる。男は「南風」であり、帰りは「北風」が子供たちをしっぽに乗せて、村へ送ってくれた(新潟県古志郡山古志村)。
風の三郎さま(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』) 新潟県のある村では、6月27日に風の神の祭りをする。朝早く、村の入口に、すぐにも吹き飛ばされそうな小屋を作る。それを通行人に壊してもらい、風に吹き飛ばされたことにして、風の神が村を除(よ)けて通るよう祈る。また別の村では、同じような小屋を「三郎山」という山の頂上に作る。風が吹くと子供たちが、「風の三郎さま、よそ吹いてたもれ」と、声を揃えて唱える。
*小屋を壊すのは、→〔運命〕2aの『金枝篇』(フレイザー)第3章「共感呪術」で小屋を焼くのと、同様の考え方によるのだろう。
『風の又三郎』(宮沢賢治) 2学期の最初の日。1年生から6年生まで一教室で学ぶ小さな学校に、高田三郎が転校してくる。その日は二百十日であり、高田三郎が何かするたびに風が吹くように思われたので、子供たちは「あいづは風の又三郎だ」と言う。皆は毎日、高田三郎と遊ぶが、ある日、5年生の嘉助は、霧の中で、又三郎がガラスのマントを着、ガラスの靴をはいて、空を飛ぶさまを幻視する。嘉助は「あいづはやっぱり風の神だぞ」と思う→〔転校生〕1。
★2a.神が風を起こす。
鶏石(高木敏雄『日本伝説集』第5) 紀伊国那賀郡粉河町の丹生大明神に、鶏形の大石があり、鶏石と呼ばれている。昔、蒙古が攻めて来た時、丹生大名神が鶏に乗り、神風を起こして戦った。その鶏が、後に石になったのである→〔鶏〕6。
『日本書紀』巻2神代下・第10段一書第4 兄ホノスセリが釣りをする日、弟ヒコホホデミ(=ホノヲリ)は海辺へ行き、海神(わたつみ)の教えのとおり、口をすぼめて息を強く吐く嘯(うそぶき)をして、風を招いた。たちまち海神が疾風を起こし、ホノスセリは溺れ苦しんで降参した。ヒコホホデミが嘯をやめると、風もやんだ。
『三国志演義』第49回 魏の曹操が北方から大船団を率い、呉を討つべく揚子江を南下する。魏軍と呉軍は、赤壁のあたりで対峙する。時は健安13年(208)冬11月で、曹操軍に有利な西北の風が吹いていた。呉と同盟を結ぶ蜀の軍師・諸葛孔明は、奇門遁甲の術を用いて、東南の風を起こす。呉の船隊は、東南の追い風に乗って魏の船団に近づき、火を放つ。魏の船団は揺れを防ぐため互いに鎖でつないであったので、火が次々に船に燃え移って、曹操軍は大敗する。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之33第154回~巻之43,4第174回 文明15年(1483)、扇谷定正が、安房の里見家攻撃を計画する。丶大(ちゅだい)法師が「風外道人」と称して扇谷定正に近づき、「12月8日に乾(西北)の順風を吹かせるから、水軍を率いて、相模の三浦より安房の洲崎へ攻め寄せよ」と勧める。風外道人は、風を起こす力を持つ甕襲(みかそ)の玉を用いて乾の風を吹かせ、扇谷定正の船団は順風に乗って進む。しかしあと1里で洲崎という所で、風外道人は風を止め、逆風である巽(東南)の風に変える。そこへ里見軍の船隊が来て火をかけ、扇谷定正の船団は炎に包まれる。
『赤胴鈴之助』(武内つなよし) 赤胴鈴之助は、大鳥赤心斎から真空斬りを学んだ。手に持った剣をグルグル回して、つむじ風を起こす(竹の棒や木の枝を用いてもよい。何もない場合には、素手で風を起こしてもよい)。つむじ風の中心は真空になり、敵の身体が真空に触れれば、皮も肉も裂ける(ただし、血が噴き出るようなことはない)。気絶することもあるが、傷は浅い。真空斬りを使えば、1人で大勢の敵を倒すことができる。これは、かまいたち(*→〔三人の魔女・魔物〕3)の原理を応用したものである。
狐の風(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』) 佐賀県地方では、狐の風を負うと精神に異常を起こす、といわれている。風を負うというのは、憑(つ)かれることである。旋風(つむじかぜ)に出くわしても風を負うといわれる。もし出くわしたら、唾を3度吐くと良い。
『ケルトの神話』(井村君江)「ダーナ神族と妖精と常若の国」 マイリージァ一族が、アイルランドのダーナ神族を攻める。ダーナ神族は魔法を用いて風を起こし、マイリージァの軍船は大波と霧に翻弄される。1人の兵士がマストのてっぺんに登り、大風のため甲板へ落とされたが、彼は死ぬ前に「上の方には風も霧もなかった!」と叫ぶ。それで風が魔法によるものとわかり、詩人アヴァルギンが呪文を唱えて風を鎮めた。
★3.風を静める。
『江談抄』第1-19 臨時の奉幣の日。醍醐天皇が南殿(なでん)に出御された。それ以前から風が吹いていたが、天皇が神に拝礼なさる時、風はいよいよ強くなり、屏風も倒れそうであった。天皇は「見苦しい風だ。神を拝し奉る時に、このように吹くべきではない」と仰せられた。すると、たちまち風は止んだ。
南山田の級長戸辺(しもとべ)社の伝説 礪波郡の南山田に級長戸辺社がある。昔この地方は風が強く、農作物に多大の害を及ぼした。そこで延宝3年(1675)、加賀藩主前田利常が御田林1町1反を神社に寄進して、風神を祭った。以来風害がなくなり豊作が続いたので、人々は社殿を「吹かず堂(ふかんどう)」と呼び、諸地方から、風が吹かず五穀豊穣であるよう、祈願に来るようになった(富山県東礪波郡城端町南山田是安)。
『マルコによる福音書』第4章 イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、湖を渡る。イエスが眠っているうちに激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水浸しになる。弟子たちがイエスを起こして「おぼれそうです」と訴えたので、イエスは風を叱り、湖に「静まれ」と命じる。すると風はやみ、凪になった〔*『ルカ』第8章に同話。『マタイ』第8章では「嵐を静めた」と記す〕。
『オズの魔法使い』(ボーム) カンサスの大草原の真ん中の小さな家に、ドロシーと叔父叔母夫婦が暮らしていた。ある日、竜巻がやって来たので、叔父は家畜小屋を見に行き、叔母は地下室に避難する。ドロシーは愛犬トトと部屋の中に残っていたために、家ごと竜巻に巻き上げられて空を飛び、オズの国に着地する。
『五重塔』(幸田露伴) 腕は良いが頑固一徹の大工・のっそり十兵衛が、谷中・感応寺の五重塔造営の仕事を請け負い、完成させる。落成式間近のある夜、何十年に1度という暴風雨が江戸の町を襲い、多くの家屋が倒壊する。十兵衛は五重塔の最上階に登り、板1枚・釘1本でも損じるならば、鑿を抱いて飛び降り命を捨てよう、と覚悟する。しかし五重塔は1寸1分のゆがみもなく、諸人の賛嘆の中で落成式を迎えた。
風によって孕んだ先祖の神話 昔、まだ人間のいない時、天から男(シネリキュ)と女(アマミキュ)が、沖縄の島に降った。2人は家を並べて住んだ。彼らは性交はしなかったが、往来する風を媒介として、女は3人の子供を産んだ。第一子は諸方の主の始め、第二子はノロ(=女祭司)の始め、第三子は土民の始めである(琉球)。
『カレワラ』(リョンロット編)第1章 大気の娘イルマタルが、天空から海原へ降り、波間を漂った。風が吹いて処女イルマタルを身ごもらせ、海が彼女を身重にした。イルマタルは長い年月を経ても出産することができず、苦しんだ。彼女は天地を創造し(*→〔天地〕1a)、その後にようやく詩人ワイナミョイネンが、イルマタルの胎内から生まれ出た。彼は生まれながらに老人だった。
『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)第7章「最初に男がいなかった場合」 女人国に住む女たちは、子供が欲しくなると屋根や山に登り、かがみこんで臀部を突き出して、風にさらす。風が性器に吹き込むと子供が腹に入る。女児が生まれればめでたいが、男児が生まれると女たちは嘆き悲しみ、赤ん坊を切り裂いて殺してしまう(インド、ワンチョ族。台湾、ブヌン族ほか)。
*アマゾンたちも、女児だけを養育した→〔乳房〕12の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章。
*女護が島の女たちは、風によって身ごもる→〔女護が島〕2の『御曹子島渡』(御伽草子)・『風流志道軒伝』(平賀源内)巻之5。
★6.風が動くか、幡(はた)が動くか。
『無門関』(慧開)29「非風非幡」 寺の幡が、風でバタバタ揺れなびく。それを見て1人の僧は「幡が動くのだ」と言い、もう1人の僧は「風が動くのだ」と言って、決着がつかなかった。六祖慧能が「風が動くのでもなく、幡が動くのでもない。貴方たちの心が動くのだ」と言うと、2人の僧はゾッとして鳥肌が立った〔*この故事に対して、無門慧開は『風も動かない。幡も動かない。心も動かない』との見解を述べる〕。
『水滸伝』第60回 晁蓋が軍勢を率いて曽頭市を攻めるに先立ち、梁山泊の好漢たちが壮行の宴を張る。その最中、一陣の狂風が巻き起こり、新たに作った晁蓋の認軍旗の竿を、真ん中から吹き折ってしまった。宋江や呉用が「これは凶兆だ」と言って出陣を止めるが、晁蓋はかまわず兵を進め、毒矢を頬に受けて落命する。
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