トロイア【Troia/Τροία】
読み方:とろいあ
トルコ西部にある古代都市の遺跡。小アジア半島(アナトリア)の北西端、エーゲ海から内陸へ約5キロメートル、ヒッサリクの丘に位置する。紀元前3000年頃から集落ができ、紀元前2500年から前2000年頃にかけて地中海交易の拠点として栄えたが、やがてトロイア戦争が起こり衰退。古代ギリシャ時代はイリオスまたはイリオン、もしくはトロイア、トロヤとよばれた。ドイツの考古学者シュリーマンが1870年代より発掘を開始し、同地がトロイアであると比定。引き続き行われた発掘調査により、最下層の第一市から最上層の第九市まで、異なる時代の九つの都市があったと考えられ、第一市の住居跡、第二市の道路、第六市の城壁や塔、第九市の劇場や神殿などの遺跡が残る。1998年に世界遺産(文化遺産)に登録された。トロイ。
トロイア
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トロイア (Troia)
- ^ “(3912) Troja = 1937 VJ = 1970 SZ = 1970 WK = 1977 RE9 = 1981 UC14 = 1985 XD = 1988 SG”. MPC. 2021年9月23日閲覧。
- 1 トロイアとは
- 2 トロイアの概要
トロイア
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「ハインリヒ・シュリーマン」の記事における「トロイア」の解説
自身の著作では、幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけであるとしているが、これは功名心の高かった彼による後付けの創作である可能性が高い。発掘当時は「トロイア戦争はホメーロスの創作」と言われ、トロイアの実在も疑問視されていた、というのもシュリーマンの著作に見られる記述であるが、実際には当時もトロイアの遺跡発掘は行われていた。 彼は発掘調査費を自弁するために、貿易などの事業に奔走しつつ、『イーリアス』の研究と語学にいそしんだと、自身の著作に何度も書き、講演でもそれを繰り返した。実際には発掘調査に必要な費用が用意できたので事業をたたんだのではなく、事業をたたんでから遺跡発掘を思いついたのである。 また彼は世界旅行に出て清(当時の中国)に続き、幕末・慶応元年(1865年)には日本を訪れ、自著 La Chine et le Japon au temps présent (石井和子訳『シュリーマン旅行記清国・日本』講談社学術文庫)にて、当時の東アジアを描写している。その書によれば日本に到着したのは6月1日で、日本を出発したのは7月4日である。横浜滞在中に特に興味深かったものに八王子へ向けての馬の旅を挙げており、6月18日にシュリーマンは横浜からイギリス人6人と馬丁7人で八王子に向かい、手織機をそなえた木造住宅、絹織物店がならぶ町並みを見て、大通りの井戸を観察した。 その後ソルボンヌ大学やロストック大学に学んだのち、ギリシアに移住して17歳のギリシア人女性ソフィアと再婚、トルコに発掘調査の旅に出た。発掘においてはオリンピア調査隊も協力に加わっていた。 1870年に無許可でこの丘の発掘に着手し、翌年正式な許可を得て発掘調査を開始した。1873年にいわゆる「プリアモスの財宝」を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。この発見により、古代ギリシアの先史時代の研究は大いに進むこととなった。「プリアモスの財宝」はオスマン帝国政府に無断でシュリーマンによってギリシアのアテネに持ちだされ、1881年に「ベルリン名誉市民」の栄誉と引き換えにドイツに寄贈された。第二次世界大戦争中にモスクワのプーシキン美術館の地下倉庫に移送され、現在は同美術館で公開展示されているが、トルコ、ドイツ、ロシアがそれぞれ自国の所有権を主張し、決着がついていない。 彼は発掘の専門家ではなく、当時は現代的な意味での考古学は整備されておらず、発掘技術にも限界があった。発掘にあたって、シュリーマンはオスマン帝国政府との協定を無視し出土品を国外に持ち出したり私蔵するなどした。発見の重大性に気づいたオスマン帝国政府が発掘の中止を命じたのに対し、イスタンブールに駐在する西欧列強の外交官を動かして再度発掘許可を出させ、トロイアの発掘を続けた。こうした不適切な発掘作業のため遺跡にはかなりの損傷がみられ、これらは現在に至っても考古学者による再発掘・再考証を難しい物にしている。
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トロイア
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「神域のカンピオーネス」の記事における「トロイア」の解説
プリアモス トロイアの国王。ゼウスの血統の末裔。息子の敵を討ち娘の危機を救ってくれた蓮たちを、妻のヘカベと共に客人として丁重にもてなす。梨於奈が突き止めた敵の拠点へ艦隊を差し向けた際には、蓮を艦長に任命した。 カサンドラ トロイア王女にしてアポロン神の元巫女。「#カサンドラ」を参照 ヘクトール トロイアの王子にして総大将。稀代の大英雄であるとともに、トロイア戦争の登場人物では一番の人格者。戦争の元凶である義妹にも紳士的で、まさに「騎士の鑑」といえる好人物だった。 天翔ける神馬2頭が引く戦車に乗り、神に痛打となる矢傷を与えうる無双の強弓を使うほか、古代ギリシアの総合格闘技パンクラチオンの使い手でもある。トロイア王家の秘宝である甲冑と、7枚の頑丈な牛革を重ね堅牢な青銅板を貼りつけた丸い盾を装備しており、これらはアキレウスのものほどではないが主を守護する強力な霊験を宿している。カサンドラとの兄妹仲は良好で、星から現在地を割り出す技術や、戦車を扱う心得を伝授していた。 トロイアへ攻め入ったパトロクロスを討ち取ったために、彼の親友であったアキレウスに復讐戦を挑まれる。蓮たちが神話に介入した時点で既にアキレウスとの一騎打ちに敗れて致命傷を負っていたため死の運命は覆らなかったが、直後にアキレウスが殺されたことで遺体が敵に渡るのは防がれた。 その後、サンクチュアリ・ヒューペルボレアの冥界でのアポロンとの戦いで、芙実花の玉依媛の力とカサンドラの祈りに応じて亡霊として参戦し、トロイア戦争では味方だったアポロンに挑む。《必滅の焰》の炎熱にさらされる蓮を助け、大火に焼かれながらも妹の幸せを確認すると満足そうに微笑んで、トロイア王家の秘宝である長剣と盾を残して燃え尽きた。地球崩壊の時も能力が上がり霊媒能力を得たカサンドラによって地上へ召喚され、《白き女王》にも劣らない勇者として妹を加護し《救世の神槍》を扱うのを助けた。 パリス トロイア王子であり、トロイア戦争の元凶の一人。権力・力・武勲に興味を持たない恋愛脳の持ち主で、エリスによって引き起こされた三女神の諍いでは、『見返り』として「世界一の美女を与える」と条件を出したアフロディーテを一番に選んだ。眩しいほどの美男子で弓矢の名手だが、ヘレネーと考えなしに駆け落ちして戦争を招いた挙句、従軍拒否や敵前逃亡するなど少々性格に難がある。しかし顔が良いだけのダメ男というわけではなく、長続きはしないがときどき人が変わったように英雄らしいパワーを発揮する。トロイアではヘクトールに次ぐ強さをもち、ギリシア軍のナンバーツーである大アイアスと互角の実力者である。 トロイア戦争の影の主役であり、出生時に捨てられながらも数奇な運命によって王家に帰還するという、典型的な貴種流離譚の主人公のような出自を持つ。「本来は正当派の英雄的王子様だったが、アキレウスを悲劇の英雄として際立たせるためにホメロス以降のギリシア詩人たちの手でダメ男に改編された」という説を梨於奈は支持しており、英雄パワーも無理な改編の名残と見ている。 アポロンと力を合わせてアキレウスを討つ運命にあり、実際蓮がアポロン神から与えられた《太陽の矢》の援護を受けて兄の敵を取った。しかし戦争の最終局面を前に手傷を負って戦場から逃げ出し、元カノに治療を拒まれ死亡する。 ヘレネー パリスの妻。アフロディーテがパリスに報酬として提示した「世界一の美女」。元々はスパルタ王妃だったが、外交使節として来国したパリスと駆け落ちしてしまい、これがトロイア戦争のきっかけとなった。「戦争の元凶」なのでトロイアでの立場も悪く、味方になってくれたのは義兄のヘクトールくらいしか居なかった。パリスの死後は夫の弟王子と無理矢理再婚させられたためトロイアへの未練を失い、オデュッセウスを介してギリシア軍に内通し、トロイア敗北の片棒をかつぐことになる。 アエネイス トロイア王族の一員で将軍。アフロディーテが浮気相手との間にもうけた隠し子とされているが、ステラは“親友の息子”と主張している。 神話の英雄としては今ひとつでパリスよりも格下あつかいされているが、本来の神話ではトロイア滅亡後にイタリア半島へ渡って古代ローマの礎を築き、後世に大英雄ユリウス・カエサルを輩出するユリウス氏族の祖になったとも言われている。
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トロイア
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「神域のカンピオーネス」の記事における「トロイア」の解説
小アジアの古代都市国家であり、ダーダネルス海峡から3、4キロメートルほど離れた小高い丘の上にある難攻不落の城塞都市。四方を囲む日干し煉瓦製の城壁は高さ10メートル弱で、東西に約250メートル、南北に約200メートルの規模。“黄金の都”と呼ばれるだけあって非常に裕福で、史実のトロイア同様陸海の交易拠点となる商業都市として非常に栄えている。銀の粒が『通貨』として用いられ、市街には様々な人種が居て、長い戦争でほぼ籠城中の割に活気にあふれている。
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