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みやざわ-けんじ みやざはけんぢ 【宮沢賢治】
(1896-1933) 詩人・童話作家。岩手県生まれ。盛岡高等農林卒。花巻で農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。生涯、法華経を敬信。童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」、詩集「春と修羅」など。
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宮沢賢治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 01:01 UTC 版)
宮沢賢治歌碑(比叡山延暦寺)
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、本名:宮澤-、1896年(明治29年)8月27日(戸籍上は8月1日)- 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
- ^ 岩手の歴史的仮名遣いである「いはて」に由来するとされるが、異説もある。詳細は「イーハトーブ」の項を参照。
- ^ 堀尾正史『年譜 宮澤賢治伝』中公文庫、1991年、P26。また、賢治の没後に誕生日が「8月27日」と特定されたときには、この地震と出生日の関係も大きな判断材料となった(小倉豊文「二つの『誕生』」『四次元』No.12(1950年))
- ^ 自筆の伝記メモに「Helpと呼ばる」との記載があり、1910年に友人(後述の藤原健次郎)宛に書かれた現存最古の書簡にも「Help閣下」という署名がある。
- ^ 『年譜 宮澤賢治伝』P61、79
- ^ 同じ謄写版印刷所に、戦後釜石市長となった鈴木東民がおり、当時の模様を「筆耕のころの賢治」(筑摩書房版宮澤賢治全集別巻『宮澤賢治研究』、1958年)として書き残している。
- ^ 「兄賢治の生涯」(『兄のトランク』収録)
- ^ 2010年7月に発売された「文藝 月光 2」(勉誠出版)に掲載されている。賢治と大木との関係については現時点では不明であり、今後の研究が待たれる
- ^ 『赤い鳥』を主催した鈴木三重吉は、寄稿を試みた賢治の作品を全く評価しなかったと伝えられている(『年譜 宮澤賢治伝』P240 - 241)。
- ^ 「宮沢賢治の詩草稿見つかる」産経新聞2009年4月8日
- ^ [1] 宮沢賢治・自訳エスペラント詩集(このサイトには公表状態でなく、校訂された作品が掲載されている)
- ^ 『年譜 宮澤賢治伝』P146。
- ^ 『宮沢賢治の青春』
- ^ 『二人の銀河鉄道』
- ^ 澤口たまみ『宮澤賢治 愛のうた』(盛岡出版コミュニティー、2010年)では農学校時代の近在の女性教員、澤村修治『宮澤賢治と幻の恋人 - 澤田キヌを追って』(河出書房新社、2010年)では稗貫農学校の教え子の姉、大八木敦彦「看護婦と賢治」(宮沢賢治学会イーハトーブセンター会報No.41、2010年[2])では1928年からの闘病時代の看護婦について言及されている。
- ^ 『年譜 宮沢賢治伝』p96
- ^ 『年譜 宮沢賢治伝』p137
- ^ 現在の東町の店舗は戦後に移転したものである。
- ^ 板谷栄城『素顔の宮沢賢治』1992年、平凡社(参考外部リンク:森松幹治「宮沢賢治と、食を考える」)
- ^ 千葉恭「羅須地人協会時代の賢治(二)」『イーハトーヴォ』復刊5号、宮沢賢治の会、1955年。千葉は岩手県穀物検査所花巻出張所に勤務していた時代に賢治と知り合い、賢治の誘いを受けて、賢治の農学校退職後の一時期寝食を共にしていた。千葉によると賢治の菜食主義は「バターや大豆などの脂肪蛋白は摂取していた。しかし魚や肉は食べなかった」というもので、「まことに粗食であった」と述べている。
- ^ 『年譜 宮沢賢治伝』p302 - 308
- ^ 『年譜 宮沢賢治伝』p459
- ^ 扶桑社『宮沢賢治エピソード313』p6
- ^ 小西正保著『わたしの宮沢賢治論』p231
- ^ 『校本宮沢賢治全集第14巻』472項
- ^ 宮沢清六「兄とレコード」『兄のトランク』筑摩書房、1987年(執筆・初出は1954年)。原子朗編の『新 宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍、1999年)の「レコード」の項では「ポリドールの社長からレコードがよく売れるので、花巻の高喜商店に問い合わせがあり、町一番のコレクター賢治の名をあげたところ、社長から賢治あてに感謝状がきた」とある。
- ^ 扶桑社『宮沢賢治エピソード313』p112
- ^ 『年譜 宮澤賢治伝』P166
- ^ 『年譜 宮澤賢治伝』P208
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