横須賀線とは? わかりやすく解説

よこすか‐せん【横須賀線】

読み方:よこすかせん

神奈川県大船から横須賀経て久里浜に至るJR線全長23.9キロ明治22年(1889)開業また、東京から久里浜まで直通電車通称


横須賀線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 19:04 UTC 版)

横須賀線(よこすかせん)は、神奈川県鎌倉市大船駅と同県横須賀市久里浜駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJO[注 2]




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横須賀線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)

国鉄32系電車」の記事における「横須賀線」の解説

横須賀線は、蒸気機関車列車牽引していた時代1925年4月1日改正ダイヤでは東京 - 横須賀間110分、電気機関車牽引時の1929年9月15日改正ダイヤでは85分、電車化による1930年3月15日改正時刻表では、東京 - 横須賀68分で上り42本、下り41本(うち1往復東京 - 大船間)の列車記載されていた。32系導入後1931年10月1日改正時刻表では、東京 - 横須賀68分で平日44本・休日36本の列車運行されており、平日朝夕15分間隔、その他は30分間隔、停車駅東京新橋品川横浜保土ケ谷戸塚大船北鎌倉鎌倉逗子田浦横須賀であった運行開始時の編成基本編成4-5編成付属編成2-3編成で、1932年4月頃の編成以下の通りであった。なお、同年時点での電車列車最大編成両数中央線東京-立川)7両、山手線東京-田端-赤羽)・京浜線東京-鶴見)8両、横須賀線(東京-横須賀)7両であり、また、1935年時点電車列車表定速度は最も早い横須賀線で55.1 km/h次いで東海道線吹田 - 明石間52.0 km/h山陽線神戸 - 明石間48.0 km/hであった基本5編成(2運用)、付属下記編成合わせて7編成(5運用) ← 横須賀 東京基本編成 付属編成 モハ32サハ48サロ45モハ32クハ47サロハ46モハ32基本5編成(3運用荷物・郵便車組込)、付属上記編成合わせて7編成(5運用) ← 横須賀 東京基本編成 付属編成 モハユニ30サハ48サロハ46モハ32クハ47サロハ46モハ32基本7編成(4運用)、付属2編成(2運用) ← 横須賀 東京基本編成 付属編成 モハ32サハ48サロ45サハ48モハ32クハ47モハ32その後1935年モハユニ44形導入サロハ46形サハ48形への便所設置合わせて同年もしくは1937年より基本編成4両編成付属編成3両編成統一され以下の通りとなり、不足するサロ45形補充として31系サロ37形のうち37001, 37002が横須賀線に転用された。 基本的な編成横須賀 東京基本編成 付属編成 モハ32サハ48サロハ66モハ32クハ47サロ45モハ32荷物・郵便車組込 ← 横須賀 東京基本編成 付属編成 モハユニ44サハ48サロハ66モハ32クハ47サロ45モハ32その後輸送力増強のため一部基本編成が5両編成となった以下のような編成運行されている。 荷物・郵便車組込 ← 横須賀 東京基本編成 付属編成 モハユニ44モハ32サハ48サロハ66モハ32クハ47サロ45モハ32この間1942年4月から逗子 - 横須賀間での区間運転が実施されており、同区間7-10分間隔で列車運行されていた。1944年4月1日には横須賀 - 久里浜間が開業しており、同年10月11日改正下り時刻表には51本の列車掲載されており、区間列車合わせる60本の運行となった。この時刻表では東京 - 久里浜23本、東京 - 横須賀22本、横浜 - 横須賀3本品川 - 横須賀間、大船 - 横須賀間、大船 - 久里浜間各1本で、うち15本に二等車連結されていた。 省電二等車1938年10月31日関西急電と横須賀線を除いて廃止されこれに伴い51系クロハ69形のうち69001, 69002が横須賀線に転用された。その後横須賀線の二等車横須賀 - 久里浜間が開業した1944年4月1日に一旦廃止されたが、横須賀軍港控え特殊性から、海軍要請により8月16日二等車連結再開されている。なお、前述のとおり、サロハ46形全車サロ45形一部通勤車化改造進んでいたため、二等車連結一部列車限定されサロ45形のほか、サロ37形2両、クロハ69形1両も使用された。 戦後1946年9月23日すべての二等車連合軍専用車に、11月2日から連合軍専用白帯となった当初は「U. S. Army Sectionであったが、後に「Allied Forces Sction (AFS)」もしくはAllied Forces Car (AFC)」となり、その後1947年8月には空席があった場合日本人乗車許可され1949年7月30日には二等車併結再開され9月には全編成に併結されて、編成中にAFC二等車が1両ずつ組みまれたが、その後1952年3月には白帯車は廃止された。1947年6月1日時点ではAFCを1両連結した以下のような7両編成運行されていた。 運用9編成予備1編成検査2編成横須賀 東京モハ32もしくはモハユニ44サハ48ほかモハ32もしくはモハ30クハ47ほかサハ48ほかAFCサロ45ほかモハ32戦前32系基本運行されていた横須賀線であるが、戦争末期には同線を所管する田町電車区から状態の良い車両を他線区疎開させ、代わりに状態の悪い車両を横須賀線に転用することとなり、1945年6月から32系常磐線赤羽線横浜線への疎開実施され1947年9月までに田町電車区戻っている。こういった流れの中、戦中には40系など、戦後の混乱の中でさらに30系50系などが転入し1949年からは63系が、1950年からは関西使用されていた42系52系転入して、32系とともに運用された。その後1951年3月70系最初10両が導入され以降増備進められたことに伴いモハ32形1951年3月以降順次飯田線身延線転用された一方でサロ45形サハ48形一部はこれらの形式と編成組んで引続き横須賀線で運用された。戦後1940年代から1950年代にかけての、横須賀線(および東海道線)の電車所管する田町電車区伊東支区を除く)の配置以下の通りであった田町電車区配置一覧32系42系52系51系40系30系31系3350系63系70系(80系)木造合計モハ32 クハ47 サロ45 サハ48 クロ49 小計1947年6月1日36 7 5 18 2 684 3 15 11 2 1 10 5 1191949年5月1日40 7 5 21 2 753 3 15 11 3 6 56 1 1731951年1月1日 36 5 5 16 2 6935 5 2 28 3 2 174 3181953年7月1日 5 13 2321 5 1 2 2 99 201 1 355^ このほか5両が他区貸出 ^ このほか6両が他区貸出 ^ 1950年42系63系置換 ^ 1949年5月15日時点で4両が伊東支区配置 ^ 1949年5月15日時点で3両が伊東支区配置 ^ 代用二等車サロ48の5両を含む ^ 70系32系置換 ^ 代用二等車サロ48の6両を含む ^ クロハ49の2両が伊東支区配置 ^ 関西から転入した35両の42系のうち、1951年中にモハ42形7両中5両が伊東支区へ、クハ58形9両中の2両が伊東支区へ、7両が静岡地区転出 この間1947年6月には基本7両編成付属2両編成最長9両編成変更となり、1949年2月以降基本7両編成付属3両編成最長10両編成運行されていた。1951年3月70系導入後基本7両編成付属4もしくは5両編成併結した11-12編成での運行となり、付属編成逗子駅での連結開放作業12月17日から実施された。その後1959年2月1日基本編成6両編成変更され、これを併結した12編成での運行実施されているほか、横須賀 - 久里浜間の2両編成での運行開始されている。 横須賀線では最終的にクハ47形サロ45形サハ48形1960年代半ば113系置換えられるまで運用されており、クハ47072, 47073を3扉化改造したクハ68210, 68211およびサハ48018, 48027が1964年まで、サロ45004, 45005, 45007, 45008, 45012が1964-1965年まで横須賀線に残っていた。

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横須賀線

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栗原市民バス」の記事における「横須賀線」の解説

栗原中央病院 - 築館 - 築館総合支所前 - 沢 - 浄土 - 新田駅運行事業者栗原観光タクシー(照越営業所沢 - 浄土フリー乗降区間 土曜・日曜・祝日運休2007年10月 - ミヤコーバスからグリーン観光バス委託先変更2016年4月 - グリーン観光バスから栗原観光タクシー委託先変更運行区間浄土から新田駅前まで延伸し、フリー乗降区間も曾内から浄土まで延伸した。また、留場 ⇔ 油 直行途中停留所停車)便廃止

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横須賀線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 01:37 UTC 版)

青春鉄道」の記事における「横須賀線」の解説

身長178cm、体重80kg。

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横須賀線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 16:15 UTC 版)

ホームライナー」の記事における「横須賀線」の解説

横須賀線では1990年3月10日東京駅 - 逗子駅間で「おはようライナー逗子」「ホームライナー逗子」の運行開始された。車両当初183系その後E257系500番台使用していた。2015年3月14日ダイヤ改正廃止された。

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横須賀線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)

国鉄70系電車」の記事における「横須賀線」の解説

1950年頃の横須賀線は更新修繕実施した32系40系などと関西から転入した42系によって運行され、各編成には連合軍専用車1両が連結されていた。1951年2-3月にモハ70形10両(70001 - 70010)・クハ76形30両(76001 - 76030)・サロ46形が10両(46001 - 46010)の合計50両が、同年秋にモハ70形32両(70011 - 70042)・クハ76形14両(76031 - 76051 うち76037 - 76051は奇数のみ)の計46両が落成し32系42系などと組んで運行開始し40系サハ48形サロ45形を除く32系と、42系モハ42形一部)・クハ58形置換え本系列が横須賀線の主力となったが、1952-53年にクハ76形5両が中央東線へ、1957-58年にモハ70形2両が関西地区転出している。なお、新製車クハ76形が多いのは、当時基本編成付属編成先頭車には極力クハ76形充当して、戦災から復興する横須賀線のイメージアップを図る目的があったためである[要出典]。また、当初導入計画以下の通りであったクハ47形と、すでに静岡地区転出していたクハ58形再度横須賀線に戻した上でクハ76形同様の運転台改造するモハ42形モハ43形主電動機をMT40に交換して出力増強を図る一方モハ32形などの全長17mの電動車転出させてその分だけのモハ70形新製する。 しかし、この計画モハ43形出力増強1951年から1953年にかけて7両に施工され段階変更となり、モハ42形モハ43形順次転出させてその分モハ70形新製する計画改められクハ47形クハ58形運転室改造工事63系72系改造優先させるため中止された。戦後混乱期から本系導入に至るまでの、横須賀線(および東海道線)の電車所管する田町電車区伊東支区を除く)の配置以下の通りであった田町電車区配置一覧32系42系52系51系40系30系31系3350系63系70系(80系)木造合計モハ70 クハ76 サロ46 小計1947年6月1日68 4 3 15 11 2 1 10 5 1191949年5月1日75 3 3 15 11 3 6 56 1 1731951年1月1日69 35 5 2 28 3 2 174 3181953年7月1日23 21 5 1 2 2 48 41 10 99 201 1 355^ サロ45形5両、サハ48形18両(うちサロ代用6両) ^ 関西から転入した35両の42系のうち、1951年中にモハ42形7両中5両が伊東支区へ、クハ58形9両中の2両が伊東支区へ、7両が静岡地区転出 ^ サロ代用サハ57形1両 ^ サロ37形2両 ^ モニ53形2両 当時の編成基本編成7両編成付属編成が4両もしくは5両編成基本編成にはサロ2両とサロ1両の2種があり、サロ2両組込み基本編成は、うち1両を極力サロ46形として洗面所確保したほか、1957年10月ダイヤ改正では付属編成がすべて5両編成となっている。この時点での編成例を以下に示す。 ← 横須賀 東京基本編成 × 付属編成 クハ76モハ70サロ46/45サロ46モハ70モハ70クハ76モハ43サハ48モハ70/43クハ76 クハ76モハ70サロ46モハ70サハ48モハ70クハ76モハ43クハ76モハ70サハ48モハ70/43クハ76本系列の増備伴って横須賀線のダイヤ整備され1950年代前半にはラッシュ時15分・日中30ヘッドパターンダイヤとなったその後沿線人口の増加1952年東逗子駅開業などによる乗客増加対応するため、増備輸送力強化図ったが、それでも輸送需要伸び旺盛であったことから、1959年2月1日から川崎駅停車するうになるのとあわせて終日15ヘッド基準ダイヤとなったほか、これにあわせて基本付属編成を共通の6両編成順次変更し不足する二等車1959年4月以降80系サロ85形補充した。これによりラッシュ時には2本併結12編成日中単独6両編成での運転とした一方で横須賀 - 久里浜間では輸送需要合わせ日中2両編成区間列車の運転が15ヘッド開始され基本編成から分割したモハ4353形クハ7647形の2両編成使用された。この時点での主な編成例を以下に示す。 ← 横須賀 東京クハ76モハ70サロ46/45/85モハ70モハ70クハ76クハ76モハ70サロ46/45/85モハ70モハ43/53クハ76モハ43/53サハ48サロ46/45/85モハ70モハ70クハ761960年4月20日には横須賀線で使用する本系151両ほか計185両が田町電車区から新設され大船電車区(現鎌倉車両センター)に移ったその後引き続き混雑緩和が必要であったことから、1959-62年に中央線快速山手線城東線西成線大阪環状線101系投入して捻出し40系72系京阪神緩行線投入し捻出しモハ70形22両とクハ76形13両の計35両(34両・36両という説もある)を横須賀線に転用し不足するサロ湘南電車準急東海」・「比叡」への153系投入余剰となったサロ85形10両(前述6両編成化での補充分を含む)を1959-62年度にかけて充当した。これにより、横須賀線用の本形式ピーク時の1962-63年には179両に達した1962年から111系が、1963年12月もしくは1964年2月)には出力強化型の113系が横須賀線に投入され置換えられた70系1964年以降新規電化区間客車列車電車化転用され、1965年度末時点では70系基本付属6両×16編成113系基本7両3編成/10両7編成付属5両10編成運用となっており、その後1968年1月までに全車転出した伊東線 1949年5月15日電化され、田町電車区伊東支区の32系42系計9両で運行開始した伊東線では、その後31系40系配置されたが、本系列もクロハ49形(のちのサロハ49形)やクハニ67形32系42系72系などとのローカル列車使用されていた。1961年伊豆急行線開業後はそれまでの5両編成から7両編成となった後、1964年7月113系代替されている。 東海道線 東海道線では、1948年11月から横須賀線電車による東海道線平塚までの運行使用されている。 高崎線上越線 高崎線1952年4月1日電化され、同年10月1日からと熊谷までの電車運転が開始されており、横須賀線の付属4編成使用され当初は3往復1954年4月ダイヤでは4往復の運転となっていた。また、1954年11月から翌年1月までは上野 - 石打間に横須賀線の本系7両編成防雪改造実施した編成による休日運転の臨時電車運行され1955年2月には水上 - 石打間で本系列を使用した耐雪試験実施されている。

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