111系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:38 UTC 版)
クハ111-1佐久間レールパーク保存時代 クハ111-1車内 1962年6月より東海道本線東京口用として大船電車区(現・鎌倉車両センター)と静岡運転所(現・静岡車両区)に導入された。1967年秋には横須賀線にも進出した が、当初は東海道本線と同じ湘南色で使用されたため、誤乗防止の為前面に横須賀線のラインカラーであるスカ色のヘッドマーク形行先表示板が取付けられていた。 登場当初の編成を以下に示す。基本編成中間に先頭車両(Tc)が組み込まれているが、これは新幹線が開通した際の編成短縮を見込んだためである。新幹線開業後は偶数向きクハ(Tc1)を組み込み4両+4両+8両の16両編成として、8両・12両・16両の3種類の編成で運用される構想となっていた。 登場当初の編成 ← 東京 神戸 → クハ111(Tc) モハ111(M) モハ110(M') クハ111(Tc1) + クハ111(Tc) モハ111(M) モハ110(M') クハ111(Tc) モハ111(M) モハ110(M') サロ111(Ts) サロ111(Ts) モハ111(M) モハ110(M') クハ111(Tc1) 付属編成 + 基本編成 相前後して1時間定格出力120 kWの強力型モーターMT54形が開発されたため、直流近郊形電車もこれを搭載した113系に移行し、111系の新規製造は1962年 - 1963年と短期間で終わっている。モハ111・110形の製造は64ユニットで終了し、以後はモハ113・112形に移行したが、動力のない制御車は引き続きクハ111形として増備されている。クハ111形は1 - 45と301 - 330が111系時代の製造となった。 1974年以降、113系0'番台(新製冷房車)の投入によって大船所属車は広島運転所へ転出し、その後は東海道本線静岡地区と山陽本線広島・下関地区で集中使用された。なお、111系と同じ時期に製造されたクハ111形の一部は、鳳電車区(のちに日根野電車区)に転配され、関西本線湊町(現在のJR難波) - 奈良間や阪和線、紀勢本線などで使用された。 これらは国鉄末期から廃車が始まっていたが、国鉄最末期の1987年3月に四国地区(予讃本線高松 - 坂出、多度津 - 観音寺間と土讃本線多度津 - 琴平間)で電化が実施されるのに伴い、12両(モハ111/110-13・24・36, クハ111-6・11・28、303・317・323)が4両編成3本を組んで四国(高松運転所)に転用され、そのまま四国旅客鉄道(JR四国)に承継された。JR化後の1988年には、JR四国用として日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両(モハ111/110-3・4, クハ111-2・10・27・29)の車籍が復活した。 なお、111系として落成し、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたクハ111-314は後述の高速化改造施工によりクハ111-5314に改番のうえ、2006年5月まで在籍していた。また、台車・主電動機の一部は豊橋鉄道へ譲渡され、同社渥美線用の1900系の走行機器 として使用されたのち、さらに京福電気鉄道福井支社(現 えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ1101形(MC1101形)の走行機器 として2014年に同形式が全廃されるまで使用された。
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