東海道本線
東海道線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
当初東京と関西を結ぶ路線は中山道経由とされていた(中山道幹線)。これは東海道筋は海運が盛んで、運賃の高い鉄道は余り使用されないであろうとする見方、それに東海道筋は海に近く、外国の攻撃を受けやすいという陸軍の強い反対があったため であるとされる。明治16年(1883年)に「中山道鉄道公債証書条例」が交付され、高崎駅 - 大垣駅間の建設が始まったが、山岳地帯を通るために難所が多く工事は難航した。そこで明治19年(1886年)、鉄道局長の井上は陸軍の大立者山縣有朋を説得の上、総理大臣の伊藤博文、(3人とも長州藩出身)へ相談して 東海道へルートを変更することが決定した。これを受けて東海道線の建設が急ピッチで進み1889年7月1日に全線が開通した。
※この「東海道線」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「東海道線」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。
東海道線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:40 UTC 版)
「JR東日本E217系電車」の記事における「東海道線」の解説
2004年10月16日のダイヤ改正で朝ラッシュ時の湘南新宿ライン増発による横須賀線運転本数の削減と湘南新宿ラインの運用がE231系へ統一されたことにより、運用数に対して余剰車が発生した。このため、鎌倉車両センター所属のE217系のうち、初期に製造された基本編成のF-01 - F-03編成と付属編成のF-51 - F-53編成の15両編成3本(45両)が東海道線と伊東線で運用されていた113系の置き換えのために国府津車両センターへ転属し、2006年3月18日のダイヤ改正より運転を開始した。 転属に際して東京総合車両センターにおいて改造が行われ、211系やE231系と同じく熱海方に基本編成10両、東京方に付属編成5両の構成に組み替えられた。当初は基本編成の7号車(ロングシート車)を付属編成に移動する予定であったが、混雑率の偏りを避けるため、セミクロスシート設置の旧10号車が付属編成へ移動した。 帯色はE231系と同じ新湘南色となった。車体側面のJRマークは横須賀線・総武快速線時代と同じ戸袋部に存置され、先頭車の正面にある「E217」ロゴも残されたが、その左にあった横須賀色の帯色ロゴは撤去された。 2006年3月改正時点では、1本が終日にわたって運用される以外はラッシュ時間帯のみの運用で、昼間の時間帯の充当列車は少なかったが、翌2007年3月改正時に運用が一部変更され、昼間の充当列車の本数が若干増加した。快速「アクティー」での運行は下り2本、上り1本が設定された。 運行区間は、半自動ドア装置などの寒冷地装備がないため湘南新宿ラインへの運用はなく、終日15両編成で運用されたため、JR東海管内(熱海駅以西および御殿場線)や伊東線への直通運用もなく、運用区間が東京 - 熱海(非営業の回送では来宮まで)間に限定され、運転室のモニタ装置筐体には『この車両は東京⇔熱海(来宮)間限定運用です』と表記されていた。また、E231系やE233系と異なり、車内自動放送は中止された。 その後、2008年にF-02+F-52編成が鎌倉車両センター所属車両の更新工事施工による車両不足を補うため、2010年度にはF-01+F-51編成が横須賀線武蔵小杉駅開業に伴う同線の輸送力増強のため、それぞれ鎌倉車両センターへ出戻っており、これらの穴埋めとしてE233系3000番台が国府津車両センターへ導入されている。その後、2012年11月・12月にF-02+F-52編成が再度、鎌倉車両センターから国府津車両センターに転属した。 運用は固定されており、基本編成と付属編成を常時連結した15両編成で終日運行された。予備編成を持たないため、検査などで編成不足が生じた際にはE231系やE233系が代走する。また、付属編成が検査に入った場合は、E231系の基本編成(10両)単独の運用(平日朝1往復のみ)に入ることがあった。 行先表示器はF-52編成のみ転用改造時にLED式に変更され、それ以外の編成は従来通り字幕式となっていたが、2007年6月までに全編成がLED式となった。東海道線用として新たに作成された字幕表示の書体は、横須賀線・総武快速線用と同様のゴナではなく、漢字部分のみが113系や211系と同じ旧国鉄書体となった。また、非常用ドアコックなどの使用方法のステッカーが他編成や209系などと同じタイプのものに貼り替えられた。前面種別幕は、普通列車では黒地に白文字で「普通」(小田原・熱海方面行き)または「東海道線」(東京行き)、快速「アクティー」と通勤快速では黒地に赤文字で表示された。 2007年7月9日から同年9月30日まで、横浜 - 国府津間開業120周年記念ステッカーが先頭車の前面中央に貼付された。このステッカーは、編成ごとにデザインが異なっていた。 2009年4月中旬から2010年3月上旬まで、「東海道線全通120周年 - 新橋・神戸間 - 」記念としてE233系3000番台とともに基本編成1号車・付属編成15号車前面にヘッドマークが装着された。デザインは1種類のみであった。 2015年3月14日のダイヤ改正で、本系列の東海道線での運用は終了した。2015年3月にF-03+F-53編成が、同年4・5月にF-02+F-52編成が、それぞれ国府津車両センターから鎌倉車両センターへ再転属し、全車両が鎌倉車両センターに集約された。
※この「東海道線」の解説は、「JR東日本E217系電車」の解説の一部です。
「東海道線」を含む「JR東日本E217系電車」の記事については、「JR東日本E217系電車」の概要を参照ください。
東海道線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:40 UTC 版)
「JR東日本E217系電車」の記事における「東海道線」の解説
2015年3月に運用を終了している。 国府津車両センターに所属していた。 基本編成と付属編成を併結し15両編成で運転する場合、熱海方に基本編成、東京方に付属編成を配置していた。 ← 東京 熱海 → 東海道線基本編成(10両編成)号車10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 車種構成クハE217-0 モハE217-0 モハE216-1000 サハE217-2000 サハE217-2000 サロE217-0 サロE216-0 モハE217-2000 モハE216-2000 クハE216-2000 座席セミクロス ロング グリーン車 ロング 搭載機器 VVVF SIV,CP VVVF SIV,CP その他設備電連和式トイレ 洋式トイレ 乗務員室 電連[車]トイレ 付属編成(5両編成)号車15 14 13 12 11 車種構成クハE217-2000 サハE217-0 モハE217-2000 モハE216-2000 クハE216-1000 座席ロング セミクロス ロング 搭載機器 VVVF SIV,CP その他設備電連 電連和式トイレ
※この「東海道線」の解説は、「JR東日本E217系電車」の解説の一部です。
「東海道線」を含む「JR東日本E217系電車」の記事については、「JR東日本E217系電車」の概要を参照ください。
東海道線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:52 UTC 版)
No.運行区間941 沼津駅南口 - 大諏訪 - 沼津市立病院 - ららぽーと沼津 943 沼津駅南口 - 大諏訪 - 片浜駅 - 西今沢 - 原駅 - 東田子浦駅 944 沼津駅南口 - 大諏訪 - 片浜駅 旧国一通り、静岡県道163号東柏原沼津線を通って沼津市中心部と西部を結ぶ。かつては東田子浦駅から先、吉原中央駅(富士市)まで運行していたが(沼04)、路線が分割されて東田子浦駅以西は富士急静岡バスが運行している。2022年4月のダイヤ改正に伴い、片浜駅・原駅の駅前ロータリーに乗り入れている。 「富士急静岡バス鷹岡営業所」も参照
※この「東海道線」の解説は、「富士急シティバス」の解説の一部です。
「東海道線」を含む「富士急シティバス」の記事については、「富士急シティバス」の概要を参照ください。
東海道線(一部系統の廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:52 UTC 版)
「富士急シティバス」の記事における「東海道線(一部系統の廃止)」の解説
沼津駅 - 原駅 原駅 - 沼津市立病院 「ミューバス」原循環線に移行のため、2001年に廃止。
※この「東海道線(一部系統の廃止)」の解説は、「富士急シティバス」の解説の一部です。
「東海道線(一部系統の廃止)」を含む「富士急シティバス」の記事については、「富士急シティバス」の概要を参照ください。
「東海道線」の例文・使い方・用例・文例
- 東海道線のページへのリンク