東海道線の全通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:52 UTC 版)
「日本の蒸気機関車史」の記事における「東海道線の全通」の解説
創業10年が経過、1881年開業の東海道線大津~京都間の25%勾配線区間(後年にルート変更)用として、1800形が輸入され、平坦区間の列車をそのままの編成で牽引した。路線の延伸に応じて、1886年(明治19年)には400形が輸入された。手頃な性能であり、同時期の主力機として各国からほぼ同一仕様で輸入され、私鉄用も含めて214両に達した。 東西の両拠点とされる東京と大阪を結ぶ幹線の鉄道を中仙道ルート(現·中央線)とする当初の計画は、実際にルート選定の測量を行い建設の準備を進めてみると、山岳地域での工事は容易でなく、また開通後の輸送力も急勾配に制約されることが判明した。そのため、1886年(明治19年)になって東海道ルートに急変更され、東西から建設を急ぎ、89年に待望の東海道線の全区間が完成した。鉄道創業以来17年、計画を決めてから20年の長年月を要した。
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