横須賀線以外(1950年頃まで)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 05:04 UTC 版)
「国鉄32系電車」の記事における「横須賀線以外(1950年頃まで)」の解説
戦前の1935年前後頃には、春期・秋期の中央線の臨時列車で使用されており、青梅電気鉄道の御嶽駅へ乗入れる列車にも使用されている。また、1942年10月の横浜線の電車化に伴い、モハ32形のうち3-5両が東神奈川電車区に貸出されている。 戦中・戦後においては、前述の配置転換により一部車両が横浜線、常磐線、赤羽線で運行されたほか、東神奈川や品川でモハ32に復旧機材を搭載して救援車代用として使用された。 戦後の1948年11月からは横須賀線電車による東海道線平塚までの運行が開始されたほか、1952年4月1日の高崎線の電化と熊谷までの電車化に際しては、横須賀線の4両編成が貸し出されている。また、1949年5月15日から電車運転が開始された伊東線では、区間列車用として田町電車区伊東支区に42系のモハユニ44形2両とともに32系のモハ32形4両、クハ47形3両が配置され、その後も1953年7月1日時点ではクロハ49形2両が42系7両や40系2両とともに配置されて運行されていた。
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