ちょう‐ひ〔チヤウ‐〕【張飛】
張飛
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 23:16 UTC 版)
張 飛(ちょう ひ、拼音: 、生年不詳 - 章武元年(221年)6月[1])は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍・政治家。字は益徳[注釈 1]。幽州涿郡の人。『三国志』蜀志[2]に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。諡は桓侯。子は張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后。孫は張遵。
注釈
- ^ a b c d 『三国志』蜀志「先主伝」
- ^ a b 陳壽 (中国語), 三國志/卷36#.E5.BC.B5.E9.A3.9B, ウィキソースより閲覧。
- ^ a b c 『三国志』蜀志「関羽伝」には「先主(劉備)が郷里の涿郡で人数を集めた時、関羽と張飛はその腹心の配下となった」とある。本田1968
- ^ 『三国志』蜀志「先主伝」が引く『英雄記』によると、張飛が曹豹を殺害しようとしたという。
- ^ 『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」。なお、張飛と夏侯氏との間の娘2人はともに蜀の2代皇帝劉禅の后になっている(敬哀皇后および張皇后)。後に魏で司馬懿による政権掌握の政争が起こったとき、夏侯覇がその伝手を頼って蜀に亡命してきている。
- ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968の訳文によった。百衲本による張飛伝原文は「身是張益德也,可來共決死!」である。「燕人(えんひと)張飛、これにあり!」(原文:「燕人張翼德在此!誰敢來決死戰?」)と言ったというのは『三国志演義』第四十二回「張翼德大鬧長阪橋」の創作であり、正史『三国志』では燕人の語がない。「燕人」は上原究一の研究によれば、後世の金時代にいたモンゴル人と漢民族の混血の勇敢な「漢児」を表す言葉であったという。上原論文 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71参照。
- ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968(長坂の戦い)。
- ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「諸葛亮伝」「張飛伝」「趙雲伝」「劉封伝」
- ^ 『三国志』蜀志「張裔伝」によると、張裔は劉璋の命令で徳陽の陌下で張飛を迎撃しようとしたが、敗れている。
- ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「関羽伝」によると、関羽はこのとき荊州の留守を任されていた。
- ^ 『三国志』蜀志「魏延伝」
- ^ 盧弼『三国志集解』
- ^ 『三国志』蜀志「後主伝」
- ^ 上原究一 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71.上原論文によると、金・元時代の燕の地域には張飛の子孫を称する人物が複数いたという。
- ^ 羅貫中・村上訳『三国志(一)竜戦虎争の巻』 (Kindle の位置No.137-138). . Kindle 版.現版は1968、電子版はグーテンベルク21、2012
- ^ 『傅子』
- ^ 『三国志』魏志董昭伝
- ^ 『三国志』魏志「劉曄伝」
- ^ 『三国志』呉志「周瑜伝」
- ^ 蔡 2008, p. 11.
- ^ 羅・王・瞿 2014, pp. 16–18.
- ^ 蔡東洲「民間文化与張飛形象的演変」『西華師範大学学報(哲学社会科学版)』第5号、2008年、7-14頁。; 羅盛吉、王中龍、瞿正瀛「張飛豈是多才芸之俊秀文人?」『湖北文理学院学報』第12号、2014年、15-22頁。
- ^ “第至治新刊全相平話三國志 巻之上”. 中国の民間信仰と道教. 関西大学・文学部・二階堂研究室. 2010年7月31日閲覧。
- ^ これらの容貌は正史には記述されていない。中野美代子は評伝「英雄たちの面構え」の中で、8世紀ごろから中国の民衆の間で急激に人気の広まった鍾馗、または明王像のイメージが共に人気のあった張飛の外見に取り入れられたのではないかと述べている(『中国ペガソス列伝』、中公文庫、1997)。
- ^ 濱田寛「関羽の息子、花関索伝」『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、86pp-96 該当は88pp
- ^ 三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
- ^ 『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、24-25pp
- 1 張飛とは
- 2 張飛の概要
- 3 説話における張飛
- 4 参考資料
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:49 UTC 版)
「ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事における「張飛」の解説
劉備・関羽の義弟。凄まじい力を持つ。見せ場もなく怒鬼に敗北した。
※この「張飛」の解説は、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の解説の一部です。
「張飛」を含む「ジャイアントロボ バベルの籠城」の記事については、「ジャイアントロボ バベルの籠城」の概要を参照ください。
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 14:54 UTC 版)
桃園で契を交わした義兄弟の三男。武勇に優れるが、こちらもさして何ができるということもなく、3人でいつもとりとめのない遊びに興じている。長坂の戦いでは曹操軍から「片手にハンマー片手に剣を持ち世の中を恨んだ目で睨みつけてくる」と恐れられていたが、そのことを非常に気にしていた。
※この「張飛」の解説は、「STOP劉備くん!」の解説の一部です。
「張飛」を含む「STOP劉備くん!」の記事については、「STOP劉備くん!」の概要を参照ください。
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 03:04 UTC 版)
張飛は、三国説話の世界をかき回す随一のトリックスターである。単純で陽性で破天荒、乱暴だが侠を重んじ、腕っ節も強いという分かりやすいキャラクターは庶民に広く愛され、『水滸伝』の李逵・魯智深や『西遊記』の孫悟空・猪八戒と同様、宋代の講談や元の雑劇では大人気であった。 正史における張飛伝の記述は800字に満たないが、「万人の敵」(魏書程昱伝)と称された武は有名だったらしく、敵方の劉曄伝や周瑜伝でも武勇を讃えられている。陳寿による関羽評が「士卒には優しいが、士大夫に対しては驕慢だった」とするにも関わらず、正反対に後世士大夫の崇敬を集めたのとは対照的に、張飛も「君子(目上の者)を敬ったが、小人(目下の者)には情容赦なかった」という陳寿の評とは逆に、小人=庶民の人気を集めていくこととなる。すでに唐代の李商隠「驕児詩」で、子供が張飛の特徴を知っていたことは上述の通りである。説三分においても張飛は人気のキャラクターだった。 口承文学の英雄であったことは張飛の字の変化にも現れている。正史では字を「益徳」とするが、『平話』や、嘉靖本を除く『演義』ではすべて「翼徳」に作る。益と翼は文字で書くと全く別であるが、発音は元代以降非常に近くなり、講談や演劇等の喋りでは区別されない。名の「飛」のイメージに引きずられて同音の「翼徳」で筆記されることが増え、元々同音誤字の多い『平話』でも記載され、『演義』各本にも踏襲されたものであろう。 元末から明初にかけての雑劇の中には、「張翼徳大破杏林荘」「張翼徳単戦呂布」「張翼徳三出小沛」「莽張飛大鬧石榴園」など張飛を主人公とするものが多い。それらの中で張飛はいつも「莽撞(がさつで向こう見ず)」という形容詞をつけられている。今日細部まで内容が残る三国雑劇23本全108幕のうち、張飛が歌唱者となっているのは、実にその1/4の27幕に達し、2位の関羽(15幕)を大きく引き離しており、人気のほどがうかがえる。 講談の世界観を集大成した『平話』になると、張飛の活躍はほぼ主人公といえるまでにすさまじく、当時の張飛の大衆的人気を物語る。正史には劉備が督郵(監査役人)の横柄な態度に怒り、縛って鞭で打ち据え、自らの官印を督郵の首にかけて逃亡したという話が載るが、『平話』ではこの話の主役は張飛に代わり、腹を立てた張飛が督郵の崔廉を殴り殺したあげく死体を八つ裂きにし、劉備・関羽とともに太山へ逃げ込んで山賊になったという無茶苦茶な展開に変わる(『演義』では『平話』の行き過ぎた叙述を正史寄りに改めつつ、張飛が督郵を鞭打つ展開は残し、張飛の短気と劉備の仁愛、そして両者に助言する関羽の冷静さを描く逸話へ変貌させている)。さらに徐州で曹操に敗れ兄弟離散した際は、張飛は山賊大王となって「快活」なる独自年号まで立てた。また長坂の戦いでは曹操の大軍を前に、張飛が名乗りを上げると敵兵がひるんだという正史の記事を誇張し、張飛が雷鳴のような叫びをあげるとたちまち橋が真っ二つに断ち切れ、敵兵が驚いて30里も退却したという、とんでもない話に発展する。こうした話は文字にしてしまうと荒唐無稽に過ぎて興醒めするが、講釈師が抑揚をつけ面白おかしく語れば、聴衆から万雷の喝采を受けることができた。『平話』は語り物で受けを取る口調のまま、逸話が収められており、張飛はこうした講談と相性のいい英雄だったことがうかがえる。 しかし士大夫層が加筆する段になると、儒教的道徳や礼教の枠から逸脱した張飛の破天荒な行動は、関羽や趙雲といった道徳的な英雄によって抑制されていく。『水滸伝』でも同様に、張飛的キャラクターである李逵は元の雑劇(水滸戯)で大活躍していたが、小説として完成する段階で、その活動は宋江や燕青といった良識的な人物に行動を制約されるようになった(小川環樹はこれらの無意識な圧力を「小説の儒教化」と呼ぶ)。この傾向は、より史実的な物語を追求した毛宗崗本においてさらに強まり、張飛のセリフで頻用される「我哥哥」(兄貴)という口語的な呼称が、毛本では「我兄」といった文言的表現に修正されている。 『演義』が文言的小説として完成する段階で、削ぎ落とされていった大衆的な張飛像は、『笑府』や京劇といった口語的世界ではその後も生き続け、現在でも中国庶民の間で不動の人気を誇っている。
※この「張飛」の解説は、「三国志演義の成立史」の解説の一部です。
「張飛」を含む「三国志演義の成立史」の記事については、「三国志演義の成立史」の概要を参照ください。
張飛(ちょうひ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:00 UTC 版)
「三国志 (北方謙三)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説
劉備の義弟。実直で心優しい豪傑であるが、劉備の「徳の将軍」という声望に傷をつけないよう、酒乱の乱暴者というイメージを表に出し、進んで泥をかぶる役を演じる。後に蜀漢軍の伝統となる厳しい調練(死者も出る)の基礎を築く。呂布の黒騎馬隊を手本とした張飛の騎馬隊は、劉備軍では最強を誇る。内に秘めた優しさ故に、義兄関羽の戦死、そして愛妻董香を喪うという相次ぐ衝撃によって生じた心の隙を、呉の謀臣張昭に衝かれ暗殺される。張飛の野戦料理は、蜀漢軍の伝説となる。
※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「三国志 (北方謙三)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「三国志 (北方謙三)」の記事については、「三国志 (北方謙三)」の概要を参照ください。
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:17 UTC 版)
「私説三国志 天の華・地の風」の記事における「張飛」の解説
字は翼徳で、劉備の義兄弟。蛮勇を絵に描いたような猛将。酒が大好きで、酒が入ると見境なく人に絡む。武勇にばかり力を出しているように見えるが、意外と劉備の本性を当てた。
※この「張飛」の解説は、「私説三国志 天の華・地の風」の解説の一部です。
「張飛」を含む「私説三国志 天の華・地の風」の記事については、「私説三国志 天の華・地の風」の概要を参照ください。
張飛(ちょうひ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 06:28 UTC 版)
※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「王者の遊戯」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「王者の遊戯」の記事については、「王者の遊戯」の概要を参照ください。
張飛(ちょうひ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 20:11 UTC 版)
「ランペイジ (漫画)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説
本作の主人公。字は益徳。一般的な三国志の張飛像とは違って、身長は普通で、虎髭をはやしているわけではないし、体格も平均レベルを越えるものではない。さらに性格においても勇猛とは言いがたく、ヘタレである。
※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「ランペイジ (漫画)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「ランペイジ (漫画)」の記事については、「ランペイジ (漫画)」の概要を参照ください。
張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:48 UTC 版)
「龍狼伝」の記事における「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」の解説
基本的には『演義』に準ずる。怪力のみでなく武術の天才である。本気で戦えば、特殊な術を一切使わずとも虎豹騎や虚空衆を数人まとめて一合で葬る。関羽に「自分よりも強い」と言わしめる実力者である。
※この「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」の解説は、「龍狼伝」の解説の一部です。
「張飛 (声:荒川太郎)(演:友常勇気 / 大藏基誠)」を含む「龍狼伝」の記事については、「龍狼伝」の概要を参照ください。
張飛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)
※この「張飛」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「張飛」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。
張飛(ちょうひ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:17 UTC 版)
「男塾 (架空の学校)」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説
ワールド男杯中国代表として初登場。スケートやエアホッケーを用いた拳法を使う。後に男塾に入塾。
※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「男塾 (架空の学校)」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「男塾 (架空の学校)」の記事については、「男塾 (架空の学校)」の概要を参照ください。
張飛(ちょうひ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:45 UTC 版)
「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の記事における「張飛(ちょうひ)」の解説
中国代表。
※この「張飛(ちょうひ)」の解説は、「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の解説の一部です。
「張飛(ちょうひ)」を含む「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の記事については、「曉!!男塾 青年よ、大死を抱け」の概要を参照ください。
張飛と同じ種類の言葉
- >> 「張飛」を含む用語の索引
- 張飛のページへのリンク