張遵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 張遵の意味・解説 

張遵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 07:28 UTC 版)

張 遵(ちょう じゅん)は、中国三国時代蜀漢の尚書。幽州涿郡の人。祖父は張飛。父は張苞[1]

事績

炎興元年(263年)10月、鄧艾の侵攻に対し、綿竹の地で諸葛瞻と共にこれを迎え撃ったが、敗れて戦死に至った[2]蜀漢の滅亡)。

成都武侯祠には張飛・張苞と共に像が建立されている。

三国志演義

羅貫中の小説『三国志演義』では第117回で登場。綿竹の戦いで先に戦死した諸葛瞻の仇を討たんと出撃する子の諸葛尚を諫めるが、諫言は聞き入れられず、諸葛尚も戦死。その後に出撃した張遵・黄崇・李球もまた鄧艾軍に敗れ、諸共に戦死する。

脚注

  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 張飛伝
  2. ^ 『三国志』魏書 鄧艾伝



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「張遵」の関連用語

張遵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



張遵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの張遵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS