張邦傑 (元)
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張 邦傑(ちょう ほうけつ、? - ?)は、モンゴル帝国に仕えた漢人世侯(漢人軍閥)の一人。字は智万。済南を中心とする大軍閥を築いた張栄の息子にして後継者。
- ^ 渡辺健哉 2010, p. 83-84/90.
- ^ 堤 1995, p. 5.
- ^ 『羅氏雪堂蔵書遺珍』経世大典輯本,「張邦傑、栄之子也。字智万。年十七以諸侯子質藩邸。跋渉艱危、益□臣節」
- ^ 『国朝文類』巻50済南路大都督張公行状,「初以質子侍王藩、娶阿可亦真氏、生公。性長厚、自幼嶷然、有成人風長、博通諸国語。……公生遼東兀魯回河、又其二父為藩王妃」
- ^ 堤 1995, p. 8.
- ^ a b 堤 1995, p. 6.
- ^ 愛宕 1988, p. 286-287.
- ^ 安部1972,121-123頁
- ^ 『羅氏雪堂蔵書遺珍』経世大典輯本,「及帰省、父命襲爵。邦傑明敏於政。奧都合満行省燕京、擬於常賦外徵銀七両、諸路畏其威権、莫敢言者。邦傑曰『今天下甫定、民瘡痍未復、軽徭薄賦以招徠之猶懼不蔇。豈宜厚斂、以重民瘼稟』。請免徵、上可之、民懐其徳、歌訟于道」
- ^ 『羅氏雪堂蔵書遺珍』経世大典輯本,「行省増酒課蔵、為銀三百錠。邦傑曰『今民正供猶不給、又倍酒税、是駆吾民散之四方、転死溝壑矣』。力請如旧額。先是、多逋賦者、省檄俾居者、代償邦傑詣闕稟免之。尋榷監利、有司欲均賦於民、歳責民査力排其議、民又監害」
- ^ 『羅氏雪堂蔵書遺珍』経世大典輯本,「賊李仏者擁衆掠東平犯斉河、率兵討平之。距府城一舎地卑下、霖雨泥濘大路人病渉、邦傑因農隙築甬、送行者至今之居家」
- ^ 『羅氏雪堂蔵書遺珍』経世大典輯本,「事親至孝、母没、於墓側、哀如礼儀人、皆賢之。卒年四十四歳矣」
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