敬哀皇后張氏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 敬哀皇后張氏の意味・解説 

敬哀皇后張氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 03:42 UTC 版)

張皇后
蜀漢の皇后
在位 建興元年 - 建興15年
223年 - 237年

別称 敬哀皇后
出生 生年不詳
死去 建興15年(237年)6月
埋葬 南陵
配偶者 劉禅
氏族 張氏
父親 張飛
テンプレートを表示

敬哀皇后(けいあいこうごう)は、中国三国時代の人物。蜀漢の2代皇帝である劉禅の皇后。

幽州涿郡の人[1]は伝わっておらず、諡号で敬哀皇后と呼ばれる。張飛の長女で、母は夏侯覇の従妹。妹は自身の死後に劉禅の皇后となる(単に張皇后と呼ばれる)。

生涯

章武元年(221年)、劉備が蜀漢の皇帝として即位すると、皇太子劉禅の妃として宮中に入る。

建興元年(223年)、劉禅の皇帝即位に伴い、皇后に立てられる。

建興15年(237年)6月[2]に死去。南陵に葬られた。

三国志演義

小説『三国志演義』では第85回で名前が挙がり、劉禅の即位時に初めて妻として迎えられ、そのまま皇后に立てられる。この時、年齢は17歳と設定されている。

その後、第115回では皇后が劉琰の妻を引き止めて話し込んだことに端を発し、劉琰が妻と劉禅の密通を疑う騒動も描かれる[3]

出典

脚注

  1. ^ 『三国志』蜀書 張飛伝記載、父の張飛の本貫
  2. ^ 『三国志』蜀書 後主伝
  3. ^ 『三国志』蜀書 劉琰伝によると、史実で劉琰の妻を引き止めたのは穆皇太后



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「敬哀皇后張氏」の関連用語

1
72% |||||

2
36% |||||

3
30% |||||


5
6% |||||

敬哀皇后張氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



敬哀皇后張氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの敬哀皇后張氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS