潘淑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 23:38 UTC 版)
潘 淑[1][2](はん しゅく)は、三国時代の呉の大帝孫権の皇后。揚州会稽郡句章県(現在の浙江省寧波市江北区)の出身。父母の名は不明。呉の第2代皇帝である孫亮の母。
注釈
- ^ 懐妊した際は誰かが龍の頭を自分に授けて、彼女自身がそれを受け取るという夢を見たという。こうして生まれたのが孫亮であった。
- ^ 『建康実録』に「赤烏七年 生于内殿」とある。孫権の諸子女の中で生年と誕生地を明確な形で伝えた記録は、孫亮のみである。
- ^ 孫権は当初、妃妾を皇后とする意志がなかったといわれ、先任の皇太子の母である王夫人を含む妃が皇后に昇格したことについても拒否の姿勢を見せた。潘淑は生前における唯一皇后に就く妃である。
- ^ 宮女の恨みを買って殺害されたという説が有名だが、史料が乏しく真偽は不明。南宋の歴史家である胡三省は『資治通鑑』の注でこの説を否定した。潘皇后が幼帝の後見として必ず摂政を行い、その結果として権臣の利益が損なわれるのが予想され、それを防ぐために権臣が暗殺を画策した。
- ^ 大喬、小喬、孫夫人、甘皇后、鄧夫人(孫和の寵姫)と共に三国時代の美人として挙げられている
- ^ 姉婿になった譚紹は孫亮の即位後に騎都尉に任用られ兵権を与えた。太平3年(258年)孫亮が廃位させられ、譚紹は一族もろとも故郷の廬陵郡に左遷された。
出典
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