唐固
字は子正《闞沢伝》、あるいは世正《同集解》。丹陽郡の人《闞沢伝》。丹陽太守唐翔の子、別部司馬唐瓊の父《唐書世系表》。唐氏の郷里はもともと潁川であったが、父の唐翔が丹陽太守となって住まいを変えたという《唐書世系表》。 『唐書世系表』はほとんど信頼が置けない。たとえば唐固の孫唐宣が晋将唐彬を生んだとしているが、『晋書唐彬伝』では唐彬を魯国の人で、唐台の子としている。 唐固は身を修めて学問を積み、儒者として称賛され、『国語』『公羊伝』『穀梁伝』の注釈書を著した。彼に学ぶ者はいつも数十人もいた《闞沢伝》。『国語注』は『史記集解』などに引用されており、その序文では、韋昭が「会稽の虞君と丹陽の唐君はみな英才ある碩学で、博学の士である」と唐固を称えている《同集解》。 孫権が呉王に封ぜられたとき、唐固は議郎に任命され、陸遜・張温・駱統らはみな彼に拝礼を取った。黄武四年(二二五)、尚書僕射に昇進したが、ほどなく卒去したようだ。享年七十余歳《闞沢伝》。 黄龍元年(二二九)に孫権が帝位に即いたのち、唐固を昇進させたという記録がないことから、それ以前に亡くなっていたと考えられる。おそらく曹操と同じくらいの世代の人物なのだろう。 【参照】韋昭 / 虞翻(虞君) / 孫権 / 張温 / 唐瓊 / 唐翔 / 駱統 / 陸遜 / 潁川郡 / 会稽郡 / 呉 / 丹陽郡 / 議郎 / 尚書僕射 / 太守 / 別部司馬 / 公羊伝注 / 国語注 / 穀梁伝注 / 史記集解 |
唐固
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唐固 | |
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呉 尚書僕射 | |
出生 | 生年不詳 揚州丹陽郡 |
死去 | 黄武4年(225年)以降 |
拼音 | táng gù |
字 | 子正 |
主君 | 孫権 |
唐 固(とう こ)は、中国三国時代の呉の学者。字は子正[1]。揚州丹陽郡の人。
生涯
身を修め、学を積み、儒学者として称揚された。『国語』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』についての注釈を著し、彼の講義を受ける者は常に数十人に昇った。
黄初2年(221年)11月[2]に孫権が呉王となった後、唐固は議郎を拝命した。同じく孫権に仕える陸遜・張温・駱統らは皆、唐固に拝礼した。
黄武4年(225年)に尚書僕射となり、その後に死去した。享年は七十余歳。
『新唐書』宰相世系四下によると、父の唐翔は丹陽太守、子の唐瓊は別部司馬となった[3]。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』呉書 闞沢伝付唐固伝 s:zh:三國志/卷53#唐固
脚注
- ^ 『冊府元亀』では字を世正とする。s:zh:冊府元龜/卷0578
- ^ 『三国志』呉書 呉主伝 s:zh:三國志/卷47
- ^ しかし同書の記述によると唐固は唐彬の曾祖父となるが、『晋書』唐彬伝の記述と異なり、疑わしい。s:zh:新唐書/卷074下#唐
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