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滕胤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/18 14:14 UTC 版)
滕 胤(とう いん、?-257年)は、三国時代の呉の武将・政治家。字は承嗣。北海国劇の人。伯父は滕耽、父は滕冑。妻は孫奐の娘。子に呉纂の妻。『三国志』呉志に伝がある [1]。
- ^ 陳寿(裴松之注)の『正史三国志』の「呉志」滕胤伝は、物語として次の孫峻伝を経て孫綝伝に続く特殊な形式となっており、滕胤が殺害されたことは孫綝伝に記述されている。これについて『三国志』の日本語訳者小南一郎(ちくま学芸文庫版、初版1993年)による解説で、『三國志』の「呉志」が、韋昭らが書いた『呉書』に基づいていることを挙げ、陳寿が『呉書』の形式に則ったからという説と、『呉書』には記述されていない出来事であったため、この項のみ独自に陳寿が補ったため、という二つの説を挙げている。
- ^ 諸葛恪伝の注に引く『呉歴』によれば、この時、諸葛恪に対して身辺に気をつけるように警告したが、諸葛恪はこれを聞き入れず、殺されてしまったという。しかし、諸葛恪伝本文には「滕胤は暗殺計画を知らずに、孫峻が諸葛恪を殺すために開催した酒宴に出るように諸葛恪に勧めた」と書かれている。諸葛恪伝の注に引く『異同評』によれば、歴史家の孫盛は『呉歴』の記述の方が優れていると推測している。
- ^ 『呉録』によると、群臣達は孫峻を太尉、滕胤を司徒にすることを望んだが、孫峻に諂う者がいたため、孫峻のみが丞相となったことに大きく落胆したとある。
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