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顧雍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/03 14:37 UTC 版)
顧 雍(こ よう、168年 - 243年[1])は、中国の後漢から三国時代の武将、政治家。呉郡呉県の人。字は元歎。顧奉の曾孫、顧徽の兄、顧邵・顧裕(顧穆)・顧済の父、顧譚・顧承の祖父。『三国志』呉志に伝がある。
- ^ 『三国志』呉志「呉主伝」によると、赤烏6年冬11月に死去。
- ^ 『江表伝』によると、孫権は中書郎の役の者を顧雍の元へ派遣し、いろいろな事柄について意見を求めた。孫権の意向が顧雍の意見と合致し、すぐ実施してもよい場合は、顧雍は中書郎の者とその場で討議した上で、深く検討を加え、中書郎の者を酒食を用意してもてなした。孫権の意向が顧雍の意見と合致しない場合は、顧雍は顔つきを改めてきびしい顔をし、黙して何も語らず、何のふるまいも用意せず、中書郎の者はすぐに引き上げた。孫権は顧雍の意向を重んじ、何も語らなかったときは改めて考え直すことにしていたという。また、長江の諸将がしばしば巧名目的で軍事作戦を提案してくることがあり、孫権が顧雍に意見を求めると、顧雍は諸将が自身の手柄目的で提案してくるようなことには耳を貸さずに、真に効果的と思える策のみ取り上げるようにと忠告した。孫権はこれに従ったという。
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