劉琰とは? わかりやすく解説

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劉琰Liu Yan

リュウエン
リウエン

(?~234
蜀行中軍師・衛尉車騎将軍都郷

字は威碩魯国の人。

劉備予州にいたとき召し出され従事となる。同姓でもあり、また風雅の心があるうえ議論好んだので劉備愛され随行して各地巡ったが、いつも賓客としてお側近くにあった益州平定されると固陵太守任じられる

劉禅皇帝即位する都郷侯に封じられる席次李厳次ぎ衛尉中軍師・後将軍任じられ、のち車騎将軍昇進したが、国政には参加せず諸葛亮側近くにいて議論風刺をするだけだった。その生活は車馬衣服飲食全てに贅沢を極め奴婢数十人はみな歌や音楽通じ、その全員王延寿の『霊光殿賦』を暗唱できた。

建興十年二三二)、魏延不仲となり、泥酔したおり彼に対してでたらめな発言をした。諸葛亮詰問する陳謝したので、彼は官位据え置かれたまま成都返された。

十二年正月、妻の胡氏参内して皇太后年賀の礼を捧げた皇太后胡氏がしばらく後宮留まるよう命じ、劉琰の屋敷帰したのは一ヶ月後のことになった。劉琰は胡氏美貌持っていたため皇帝劉禅姦通したのではないか疑い、彼女を何度も鞭打ち草履で顔を殴りつけたす離縁した。はたして胡氏が夫を告訴し、劉琰は処刑された。

参照王延寿 / 魏延 / 胡氏 / 諸葛亮 / 穆皇后皇太后) / 李厳 / 劉禅 / 劉備 / 益州 / 固陵郡 / 成都県 / 都郷 / 予州 / 魯国 / 衛尉 / 郷侯 / 後将軍 / 車騎将軍 / 従事 / 太守 / 中軍師 / 霊光殿賦


劉琰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 08:16 UTC 版)

劉 琰(りゅう えん)は、中国後漢末期から三国時代の人物。威碩豫州魯国の出身。蜀漢に仕えた。




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