杜瓊とは? わかりやすく解説

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杜瓊Du Qiong

トケイ

(?~250
太常

字は伯瑜。蜀郡成都の人。

若くして任安より図讖術(予知)を学んだ益州劉璋召し出され従事任じられる劉備益州支配すると議曹従事となり、劉禅即位する諫議大夫任じられ、そこから左中郎将大鴻臚太常昇進していった。

杜瓊は控えめ口数少なく世間のことには関わろうとしなかった。蔣琬費禕彼の才能高く評価した。しかし天文調べて未来を予知するようなことは全くしなかった。譙周理由尋ねると、杜瓊「この術は非常に難しく昼夜通して激しく観察をしなければならない。しかも予言が人に漏れる災い招いてしまう。だから知らない方がましだ」、譙周周舒どういう根拠で『当塗高』を魏と解したのでしょうか」、杜瓊「魏とは城の門のことだから、塗(みち)に当たりて高し、とは魏のこととわかる。昔は官職を『曹』とは呼ばなかったが、漢の時代になって役人を属曹(曹に属す)、その部下侍曹(曹にはべる)と言うようになった。これが天の意志である」。

延煕十三年(二五〇)、八十余歳で亡くなった。『韓詩章句』を著した子供たちには伝授せず、図讖術を継承する者はいなくなった

譙周は杜瓊の言葉参考にして「先帝陛下の諱の『備』は完結するという意味だし、今上陛下の諱の『禅』は授けるという意味だ。この名付け方縁起悪いことだ」と述べて蜀漢長く続かないことを予測した

参照周舒 / 蔣琬 / 譙周 / 任安 / 費禕 / 劉璋 / 劉禅 / 劉備 / 益州 / 魏 / 蜀(蜀漢) / 蜀郡 / 成都県 / 諫議大夫 / 議曹従事 / 左中郎将 / 従事 / 大鴻臚 / 太常 / 牧 / 韓詩章句 / 当塗高 / 図讖


杜瓊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 15:06 UTC 版)

杜 瓊(と けい)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。伯瑜益州蜀郡成都県の出身。


  1. ^ 160年代


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