ごとう‐またべえ〔‐またベヱ〕【後藤又兵衛】
後藤基次
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後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛(ごとう またべえ)。
- ^ 筑前六端城 | テーマに沿って城めぐり | 攻城団
- ^ 『播磨鑑』によると、基次が5,000石、神西不楽が3,000石である。
- ^ 浪人した時期は慶長18年(1613年)6月、池田輝政の死後とも[8]
- ^ 長宗我部盛親、毛利勝永、真田信繁(幸村)の大名格3人に、基次、明石全登を加えた5人。
- ^ およそ8時間戦っていたという俗説があるが、これは誇張表現。徳川方が後藤隊を発見したのが午前2時、奥田が抜け駆けをしたのが午前4時。予定通り背後に回り込んだ水野隊が片山村から攻め上がり、伊達政宗、松平忠明らが総攻撃を開始したのが午前9時。薄田兼相が打ち取られのは午前10時。基次は人知れず自害しているので最期の時刻は不明ながら、兼相より先である。
- ^ 『十六・七世紀イエズス会日本報告集』では、「又兵衛軍は激しく攻めたてられ、内府軍はほとんど何の苦もなく勝利を得た。」と書かれている。
- ^ 夜間の出立時刻を霧のために誤ったとされる。
- ^ 但し、母里友信の2万石を除けば、栗山利安など、他の宿老たちと同格以上であり、大隈城も東方国境線「筑前六端城」最大の要衝である。
- ^ 大阪府柏原市にも顕彰碑が建立されている。
- ^ 『後藤基次』 - コトバンク
- ^ a b c 貝原益軒『黒田家臣伝』
- ^ 綿谷雪『実録 後藤又兵衛』
- ^ 本山, p. 165.
- ^ 本山, p. 166.
- ^ a b c d e f 湯浅常山『常山紀談』
- ^ a b c 渡邊大門「牢人後藤又兵衛基次考」(『十六世紀史論叢』5号、2015年)
- ^ a b 本山, p. 170
- ^ a b 『武功雑話』
- ^ 『大坂御陣山口休庵咄』
- ^ 『芥川文書』
- ^ 『細川家記』
- ^ a b 『北川覚書』等。
- ^ a b c 長沢九郎兵衛『長沢聞書』
- ^ a b c 真田増誉『明良洪範』
- ^ 古老物語
- ^ a b c 『新東鑑』
- ^ 耶馬溪の史跡「後藤又兵衛の墓」
- ^ 後藤又兵衛と伊福の里
- ^ a b 平野庸脩『播磨鑑』
- ^ データベース『えひめの記憶』伊予市誌
- ^ a b 【市指定文化財】後藤又兵衛基次公菩提所<史跡>
- ^ 吉本健二著真説大坂の陣P183
- ^ 『黒田家臣伝』「後藤又兵衛伝」
- ^ a b 貝原益軒『黒田家譜』
- ^ 『菅氏世譜』
- ^ 則松弘明『呪詛の時空 宇都宮怨霊伝説と筑前黒田家』(海鳥社)p.96-97
- ^ 『新書太閤記』
- ^ 『森本儀太夫筆記』
- ^ 『志士清談』
- ^ 『難波戦記』
- ^ a b 『大坂御陣覚書』
- ^ 『日向守覚書』
- ^ “幸村と並ぶ英雄、後藤又兵衛”. 産経新聞 (2015年3月14日). 2016年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月17日閲覧。
- ^ 吉本健二著真説大坂の陣P177
後藤又兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)
大坂城五人衆の一人。元々は黒田家臣。明るく豪快な性格でスイカが大好物。
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後藤又兵衛
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勇猛名を馳せた天下第一等の豪傑。その闊達な人柄で多くの兵を惹きつけて心服させ、豊臣の諸将の中で誰よりも信頼を集めている。秀頼にもいたく気に入られ、大坂城内で侍女達のみに囲まれて育った秀頼に武人の猛々しさを感じ入れさせ、あたかも別人になったかのようにその性格を豹変させた。
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後藤又兵衛
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「真田十勇士 (柴田錬三郎・本宮ひろ志の漫画)」の記事における「後藤又兵衛」の解説
浪人時代には、真田大助に「父親の無骨な愛情」を示した。大坂の陣にも参加、夏の陣で戦死する。
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後藤又兵衛
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原作には登場しない。黒田家家臣。馬狩りの際、松風に家中の者が殺されたので松風の命を奪いに慶次のもとに来た。が、自らの過ちに気づき松風に頭を下げた。登場した当初は威圧的な面構えだったが、次回登場時は美男顔になっている。
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後藤 又兵衛(ごとう またべえ)
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「ムシブギョー」の記事における「後藤 又兵衛(ごとう またべえ)」の解説
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