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張飛

(翼徳 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 14:37 UTC 版)

張 飛(ちょう ひ、拼音: Zhāng Fēi、生年不詳 - 章武元年(221年)6月[1])は、中国後漢末期から三国時代将軍政治家益徳[注釈 1]幽州涿郡の人。『三国志』蜀志[2]に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。は桓侯。子は張苞張紹敬哀皇后張氏張皇后。孫は張遵


注釈

  1. ^ a b c d 『三国志』蜀志「先主伝」
  2. ^ a b  陳壽 (中国語), 三國志/卷36#.E5.BC.B5.E9.A3.9B, ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ a b c 『三国志』蜀志「関羽伝」には「先主(劉備)が郷里の涿郡で人数を集めた時、関羽と張飛はその腹心の配下となった」とある。本田1968
  4. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」が引く『英雄記』によると、張飛が曹豹を殺害しようとしたという。
  5. ^ 『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」。なお、張飛と夏侯氏との間の娘2人はともに蜀の2代皇帝劉禅の后になっている(敬哀皇后および張皇后)。後に魏で司馬懿による政権掌握の政争が起こったとき、夏侯覇がその伝手を頼って蜀に亡命してきている。
  6. ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968の訳文によった。百衲本による張飛伝原文は「身是張益德也,可來共決死!」である。「燕人(えんひと)張飛、これにあり!」(原文:「燕人張翼德在此!誰敢來決死戰?」)と言ったというのは『三国志演義』第四十二回「張翼德大鬧長阪橋」の創作であり、正史『三国志』では燕人の語がない。「燕人」は上原究一の研究によれば、後世の金時代にいたモンゴル人と漢民族の混血の勇敢な「漢児」を表す言葉であったという。上原論文 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71参照。
  7. ^ 『三国志』蜀志「張飛伝」、本田1968(長坂の戦い)。
  8. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「諸葛亮伝」「張飛伝」「趙雲伝」「劉封伝」
  9. ^ 『三国志』蜀志「張裔伝」によると、張裔は劉璋の命令で徳陽の陌下で張飛を迎撃しようとしたが、敗れている。
  10. ^ 『三国志』蜀志「先主伝」「関羽伝」によると、関羽はこのとき荊州の留守を任されていた。
  11. ^ 『三国志』蜀志「魏延伝」
  12. ^ 盧弼『三国志集解』
  13. ^ 『三国志』蜀志「後主伝」
  14. ^ 上原究一 「「漢兒」なる張飛――金末の張飛人気と「燕人」の来源」 『三国志研究』 第5号 (2010.9)、56-71.上原論文によると、金・元時代の燕の地域には張飛の子孫を称する人物が複数いたという。
  15. ^ 羅貫中・村上訳『三国志(一)竜戦虎争の巻』 (Kindle の位置No.137-138). . Kindle 版.現版は1968、電子版はグーテンベルク21、2012
  16. ^ 『傅子』
  17. ^ 『三国志』魏志董昭伝
  18. ^ 『三国志』魏志「劉曄伝」
  19. ^ 『三国志』呉志「周瑜伝」
  20. ^ “三國張飛《八濛山銘》拓本三種、諸葛亮《遠涉帖》”. 每日頭條. (2017年7月15日). https://kknews.cc/history/rr8xkq4.html 
  21. ^ 蔡 2008, p. 11.
  22. ^ 羅・王・瞿 2014, pp. 16–18.
  23. ^ 蔡東洲「民間文化与張飛形象的演変」『西華師範大学学報(哲学社会科学版)』第5号、2008年、7-14頁。 ; 羅盛吉、王中龍、瞿正瀛「張飛豈是多才芸之俊秀文人?」『湖北文理学院学報』第12号、2014年、15-22頁。 
  24. ^ 第至治新刊全相平話三國志 巻之上”. 中国の民間信仰と道教. 関西大学・文学部・二階堂研究室. 2010年7月31日閲覧。
  25. ^ これらの容貌は正史には記述されていない。中野美代子は評伝「英雄たちの面構え」の中で、8世紀ごろから中国の民衆の間で急激に人気の広まった鍾馗、または明王像のイメージが共に人気のあった張飛の外見に取り入れられたのではないかと述べている(『中国ペガソス列伝』、中公文庫、1997)。
  26. ^ 濱田寛「関羽の息子、花関索伝」『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、86pp-96 該当は88pp
  27. ^ 三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
  28. ^ 『決定版「三国志」考証事典』別冊歴史読本 新人物往来社 1996年(平成8年) ISBN 4404024096、24-25pp
  1. ^ 翼徳」とするのは三国志演義の設定
  2. ^ 蜀漢の文化的な有名人について、史書や書論などから確認できるのは、『三国志』にだけ「(諸葛)瞻工于書画」という記述がある。
  3. ^ この銘文に関する最も早い言及は楊慎『全蜀芸文志』に見えるものの、偽作だとする研究が複数存在する[21][22][23]


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