太子堂とは? わかりやすく解説

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たいし‐どう〔‐ダウ〕【太子堂】

読み方:たいしどう

聖徳太子の像を祭ってある堂。


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

正称 大聖勝軍寺

宗派 高野山真言宗

所在 大阪府八尾市

本尊 聖徳太子四天王毘沙門天

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 宮城県仙台市太白区


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 宮城県黒川郡富谷町


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 福島県喜多方市


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 福島県二本松市


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 東京都世田谷区


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 新潟県新潟市


太子堂

読み方:タイシドウ(taishidou)

所在 大阪府八尾市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

太子堂(たいしどう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 21:03 UTC 版)

大久保村 (新潟県)」の記事における「太子堂(たいしどう)」の解説

1889年明治22年)まであった太子堂区域現在の新潟市北区太子堂。

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太子堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 15:11 UTC 版)

音路太子堂」の記事における「太子堂」の解説

本尊聖徳太子像祀られている仏堂。祭の行われる毎年7月26日27日には扉が開かれ聖徳太子像見学することが出来る。

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太子堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/01 05:18 UTC 版)

興宗寺 (福井市)」の記事における「太子堂」の解説

第五世円慶が隠居した加賀月津の掛所は、当初太子堂と称され実如から方便法身尊像下付されている。裏書によれば興宗寺門徒たる月津太子堂の住持下付したとなっている。この太子堂は円慶の子息のうちの1人受け継いだようである。その後天文年間証如時代に入ると、本願寺文書や免物の裏書に「但馬興宗寺」と「加州興宗寺」の両方見られるうになる。「本願寺史料研究所報15号」によると1505年永正2年)から1537年天文六年)の間に、月津の太子堂に寺号興宗寺」が授与されたとみなければならない但馬興宗寺と月津太子堂(加州興宗寺)は当初から、どちらか子息がいない場合は、他方から子息迎えるなどして、良好な関係であった。しかし、本願寺東西分派した際に、但馬興宗寺は西派(現在の浄土真宗本願寺派)、加州興宗寺は東派(現在の真宗大谷派)に分かれることになる。 顕如長男教如義絶したのは第八世誓了の時代であり、加州興宗寺には誓了の弟である善了が入寺していた。教如加担した善了もまた本願寺より破門されることとなる。その後教如1602年慶長7年)に東本願寺を建て、善了は加州興宗寺を東派とし完全に分立しのである分派第十世心がちょう住持職を継職した頃である。この心願は東派になった善了の次男であったようだ。 月津太子堂(加州興宗寺)は現在も牛鼻山興宗寺大谷派)として石川県小松市月津にある。(興宗寺 (小松市)

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太子堂(たいしどう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 23:49 UTC 版)

信夫山 (福島市)」の記事における「太子堂(たいしどう)」の解説

郵便番号単独設定されておらず960-0000。人口は0世帯0人。狐塚北東側であり、全域駒山公園信夫山公園とその周囲山林占め定住人口はいない。福島市街地から信夫山山中への入口にあたり春の花見の時期には域内信夫山公園駐車場大規模な花見茶屋設営され、行楽中心としての役割を持つ。 施設 信夫山公園 駒山公園

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太子堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 12:52 UTC 版)

鶴林寺 (加古川市)」の記事における「太子堂」の解説

国宝屋根板鎌倉時代墨書から天永3年1112年)の建築分かる兵庫県では現存最古建築物である。本堂の手右方に建つ。堂内壁画聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている(「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置で、延暦寺日光輪王寺などに例がある)。屋根宝形造四角錐形屋根)、檜皮葺き桁行正面)、梁間側面)とも3間の主屋前面梁間1間孫庇礼堂)を付した形式になり、側面から見ると、主屋孫庇の境で軒先の線が折れ曲がる縋破風」(すがるはふ)の形になる。堂内には本尊釈迦三尊像重文)を安置する建築とともに堂内壁画平安時代絵画稀少遺品として重要である。東側壁面描かれ聖徳太子像は、中世から厨子覆われ秘仏扱いとされている(1977年重要文化財指定されたが、写真公開されていない)。来迎壁(本尊背後の壁)の表裏には九品来迎図仏涅槃図描かれているが、黒ずんでいて肉眼では図柄確認できず、赤外線写真全貌確認された。

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太子堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 15:07 UTC 版)

信楽寺 (松江市)」の記事における「太子堂」の解説

寛永年間松江藩松平直政公が霊夢感じ隠岐国安置されいたもの松江城下へ呼び寄せその後当山移された。< 現在の堂宇火災によって消失したものを明治10年市内諸職人の寄進によって建立された。 太子堂には十六歳の聖徳太子立像孝養像)が祀られている。秘仏として通常拝観できないが、50年一度ご開帳が行われる。 令和3年聖徳太子1400回忌の年にあたり50年一度ご開帳が行われる年である。しかし、コロナ影響もあり、令和4年7月22日から25日まで、特別にご開帳が行われる。

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