ソユーズ
英語:Soyuz
ロシア連邦が保有する有人宇宙船。旧ソ連時代から「ソユーズ計画」として開発が進められている。2011年現在の型は2002年に初飛行を行った「ソユーズTMA」である。
ソユーズ本体は3人乗りで、米国スペースシャトルなどに比べると非常に小さい。機体は高い完成度を持つとされ、国際宇宙ステーション(ISS)と地球との間で人員輸送に用いられる他、既に宇宙観光などの商業用途にも使用されている。
2011年6月7日には、日本人宇宙飛行士・古川聡が搭乗する「ソユーズTMA02M」が、カザフスタンの発射台から打ち上げられた。打ち上げは成功し、予定された軌道に乗った。ソユーズは国際宇宙ステーション(ISS)へのドッキングなどのミッションを行う。
関連サイト:
ソユーズ宇宙船について - 宇宙ステーション・きぼう 広報・情報センター
ソユーズ宇宙船
名称:ソユーズ宇宙船(Soyuz)
打ち上げ国名・機関:ソ連/ソビエト連邦空軍
打ち上げ開始年月日:1967年4月23日
打ち上げ宇宙船:ソユーズ1号(1967年4月23日)~ソユーズ40号(1981年5月14日)/ソユーズT-1号(1979年12月16日)~ソユーズT-15号(1986年3月13日)/ソユーズTM-2号(1987年2月6日)
打ち上げロケット:A-2
宇宙飛行士:V.コマロフ(ソユーズ1号)/V.シャタロフ(ソユーズ4号、8号、10号)/A.エリセーエフ(ソユーズ5号、8号、10号)/V.クバソフ(ソユーズ6号、19号、36号)/A.フィリプチェンコ(ソユーズ7号、16号)/V.ボルコフ(ソユーズ7号、11号)/V.ゴルバトコ(ソユーズ7号、24号、37号)/A.レオーノフ(ソユーズ19号)/V.ブィコフスキー(ソユーズ22号、31号)/Y.ロマネンコ(ソユーズ26号、38号、T-10A号、TM-2号)/V.ジャニベコフ(ソユーズ27号、39号、T-6号、T-12号、T-13号)/V.コワレノク(ソユーズ29号、T-4号)/A.イワンチェンコフ(ソユーズ29号、T-6号)/V.リューミン(ソユーズ32号、35号)/L.ポポフ(ソユーズ35号、40号、T-7号)/L.キジム(ソユーズT-3号、T-10号、T-15号)/G.ストレカロフ(ソユーズT-3号、T-11号)/V.サビヌイフ(ソユーズT-4号、T-13号)/S.サビツカヤ(ソユーズT-7号、T-12号)/G.ストレカロフ(ソユーズT-8号、T-11号)/V.ソロビヨフ(ソユーズT-10号、T-15号)
ソ連〜ロシアの代表的な有人衛星がソユーズ宇宙船です。月着陸を目指し、また、それを達成したアメリカのアポロ計画に対抗したのが出発点でした。ソユーズは「結合」「同盟」という意味です。1967年4月、コマロフ飛行士の搭乗したソユーズ1号が打ち上げられました。しかし帰還時のトラブルからコマロフは墜落死し、宇宙飛行中の初の犠牲者となってしまいました。カプセルのパラシュートがもつれたと推測されています。1968年10月、ベレゾボイの乗ったソユーズ3号は、無人の2号とのランデブーに成功します。1969年1月には、ソユーズ4号と5号がドッキング、乗員の移乗に成功しました。1971年4月にはソユーズ10号が、同時期に打ち上げられた宇宙ステーション・サリュート1号とのドッキングに成功します。このときは移乗には失敗しています。同年6月に、ソユーズ11号がサリュート1号とのドッキング、移乗に成功します。しかし、帰還時に衛星の気密が保持できなかったため、3人の飛行士全員が死亡する惨事に見舞われます。ソユーズ宇宙船には2人乗りと3人乗りがあり、この事故のあと約9年間、ソ連の3人乗り宇宙船は打ち上げられませんでした。
東西冷戦ただ中の1975年7月には、アポロ−ソユーズ試験計画が実施されています。ソユーズ19号がアメリカのアポロ宇宙船とのドッキング、飛行士の移乗を行なったのです。ソユーズ宇宙船は1981年5月の40号まで打ち上げられました。ソユーズTのシリーズは、ソユーズ衛星を改良した2〜3人乗り宇宙船です。1979年12月にソユーズTがまず無人で飛び、ソユーズT2から有人衛星として、1986年3月のT−15まで打ち上げられました。ソユーズ宇宙船はこのころには、宇宙ステーションとの往復のための交通手段としての役割を確立しています。1986年5月にソユーズTMのシリーズ、TM1が無人で打ち上げられました。それを手始めに、TM2から有人衛星(2〜3人乗り)として宇宙に向かっています。1990年12月、日本人として初の宇宙飛行士となったTBS(当時)宇宙特派員の秋山豊寛さんが宇宙ステーションのミールと往復したのも、ソユーズTM衛星でした(TM−11でミール到着、TM−10で帰還)。アメリカのソ連の宇宙開発がロシアへと引き継がれた現在も、ソユーズTM宇宙船は、宇宙ステーションとの往復に活躍しています。1995年6月にはアメリカのスペースシャトル、アトランティス(STS-71)とミールがドッキングし、その状態で4日間と21時間飛行しました。その前にアメリカのサガード飛行士がソユーズTM−21で宇宙に向かい、ミールに乗り組んでいました。サガードは、STS-71で帰還しています。じつに20年ぶりの米ロ共同飛行でした。この試みは、東西の冷戦終結を受けて、アメリカとロシアが本格的な宇宙開発協力を行なう第一歩と位置づけられました。また、1997年2月、初めて日本の宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構(JAXA))の実験装置を積んだソユーズ輸送船が打ち上げられ、ミールとドッキングして実験装置を移しました。
1.どんな宇宙船で宇宙飛行したの?
ソユーズ宇宙船は、前部から順にソユーズ軌道船、ソユーズ降下船(DM)、計器モジュール(IM)から構成されています。軌道船の先端には、ほかの人工衛星や宇宙ステーションとドッキングするための開口部が設けられています。軌道船は乗組員が作業、休息する空間です。降下船は乗組員を収容する場所で、ドッキングしたときにはここで気圧を調整します。計器モジュールには宇宙船の運航に必要な機器が収められています。また、その両端には、全幅約8mの太陽電池パネルが翼のような形で装着されています。宇宙船には、接近・方向制御ロケット、方向制御用小ロケット、運動用エンジンなどが備えられています。ソユーズ宇宙船は、T型、TM型と進化し、細かな改良が加えられています。
2.どんなロケットで打ち上げられたの?
今日に至るまで、ソユーズ宇宙船は、すべてA−2(SL-4)ロケットで打ち上げられています。このロケットは、ボスホート衛星を打ち上げたものと基本的に同じタイプです。ボストーク衛星に使われたA−1(SL-3)の2段目を強化しています。第1段はAシリーズ共通のクラスター方式で、大小24個のエンジンを束ねたような構造です。ロケットの直径は10.3m、全長は49.3m、重さは約310トンです。推進剤は、液体酸素と灯油です。ソユーズ宇宙船は、投棄される先端の覆いの中に格納されています。
3.計画はどういう目的のためにおこなわれ、どのようなことに成功したの?
ソユーズ宇宙船は、月を目指すアメリカのアポロ計画に対抗するものとして出発しました。ソ連は公式には発表しませんでしたけれども、今日では、当初は有人宇宙船の周月飛行、月着陸を目指していたと考えられています。そのためにランデブー、ドッキングなどの実験を繰り返しました。しかし、1969年7月のロケット打上げシステムの炎上事故や、アポロ11号による初の人間の月着陸などを契機に、ソ連は方針を転換します。1975年7月にはアポロ−ソユーズ試験計画が実施され、初の米ソ宇宙船のドッキング、飛行士の相互移乗がなされました。その後のソ連の宇宙開発の主力は、サリュート、ミールなどの宇宙ステーション計画に移行しました。宇宙ステーションでは、多くの医学実験、物理化学実験、地球観測が行われ、貴重なデータを積み重ねています。また、人間の長期滞在記録も執と更新されています。1994年1月にソユーズTM−18でミールに飛んだボリヤコフは、437日18時間の宇宙滞在最長記録を残してTM−20で帰還しました。ソ連の宇宙開発がロシアに引き継がれてからも、ソユーズ宇宙船はその往復のための交通手段として位置づけられています。1995年6月には、アメリカのスペースシャトル、アトランティス(STS-71)とミールがドッキングを果たします。20年ぶりの米ロ共同飛行で、両国は宇宙協力の再スタートをアピールしました。少なくとも宇宙ステーションの分野では、ロシアはいまだにリーダー的存在であり続けています。しかし、不安定な政情や宇宙開発資金の不足からソユーズ衛星の打上げに遅れが出て、宇宙ステーションでの日常生活に支障をきたすなどの問題も起きています。
4.ロケットの打ち上げ、宇宙船の飛行はどのような順序でおこなわれたの?
ソユーズ宇宙船は、A−2(SL-4)ロケットによって打ち上げられます。そして、役目を終えたロケットが順に切り離され、衛星は大気圏外で地球周回軌道に乗ります。このあとソユーズ11号以降の宇宙船の多くが、宇宙ステーションへのドッキングおよび乗員(交代要員)の移乗を行なっています。入れ替わりに、先に任務についていた宇宙ステーションのメンバーがそのソユーズ宇宙船に乗ります。帰還時にはドッキングを解除、ふたたび軌道飛行に入ります。このあと逆推進ロケット噴射のための方向転換がなされ、降下船(カプセル)が、軌道船と機械船を切り離します。そして大気圏に再突入したカプセルが降下します。大地に降りる直前に減速ロケットを噴射して、着陸速度を大幅に減じます。カプセルは飛行士を乗せたままソ連、ロシア(CIS)領内にパラシュートで着地します。
※参考文献:バズ・オルドリン+マルカム・マコネル/鈴木健次ほか訳「地球から来た男」(角川選書)、的川泰宣「飛びだせ宇宙へ」(岩波ジュニア新書)、的川泰宣「ロケットの昨日・今日・明日」(裳華房)、「日本と世界の宇宙ロケットと衛星カタログ」(成美堂出版)、宇宙開発事業団・編「新版宇宙飛行士になるための本」(同文書院)、ケネス・W・ガトランドほか/佐貫亦男・日本語版監修「世界の宇宙開発」(旺文社)、「世界大百科事典」(平凡社)
ソユーズ
(ソユーズ宇宙船 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/27 15:17 UTC 版)
ソユーズ(ロシア語: Союз, 英語: Soyuz)は、ソビエト連邦およびロシア連邦の1~3人乗り有人宇宙船である。2人乗りボスホート宇宙船に続くもので、ソ連の有人月旅行計画のために製作されたが、結局有人月旅行計画は実現されなかった。当初はソ連の宇宙ステーション「サリュート」や「ミール」への連絡に使用され、登場から50年以上経た21世紀でも、国際宇宙ステーション (ISS) へアクセスする有人往復宇宙船、およびステーションからの緊急時の脱出・帰還用として、現役で使用されている。
- 1 ソユーズとは
- 2 ソユーズの概要
ソユーズ宇宙船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 02:34 UTC 版)
詳細は「ソユーズ」を参照 ソユーズはアメリカのアポロ計画に対抗する計画であり、月着陸を目指していたが、アメリカの追い上げが激しく、1969年のアポロ11号によって、ついにアメリカに先を越されてしまう。 これによりソ連は月到達を諦めてサリュート、ミールなどの宇宙ステーション建設を目標にした。このソユーズ宇宙船は現在も使われており、アメリカのスペースシャトルの運行が終了して以降クルードラゴンが運用開始されるまでは国際宇宙ステーションへの唯一の往還手段となっていた。 ソ連の有人月旅行計画ソユーズL1計画 ソユーズL3計画ルナ計画(関連)
※この「ソユーズ宇宙船」の解説は、「有人宇宙飛行」の解説の一部です。
「ソユーズ宇宙船」を含む「有人宇宙飛行」の記事については、「有人宇宙飛行」の概要を参照ください。
ソユーズ宇宙船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:26 UTC 版)
スペースシャトル退役後、ISSへの有人飛行が可能な唯一の宇宙船。劇中では2人だけ脱出に成功するが、通常は2機体制なので4人の脱出が可能である。
※この「ソユーズ宇宙船」の解説は、「まりかセヴン」の解説の一部です。
「ソユーズ宇宙船」を含む「まりかセヴン」の記事については、「まりかセヴン」の概要を参照ください。
ソユーズ宇宙船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 17:16 UTC 版)
詳細は「ソユーズ」および「ソユーズの一覧」を参照 ソユーズ宇宙船の基本設計は、多くのプロジェクトの元になっていたが、その多くは明らかにされていない。最も初期の形態は有人月飛行を意図して設計された。その設計は、サターンVロケットやソビエトのN-1ロケットのような巨大ロケットを用いず、月飛行に必要とされる容積の宇宙船をソユーズロケットで打ち上げ可能な大きさの幾つかのモジュールに分け、数回の打ち上げを経て、軌道上でモジュール同士をドッキングして一つの月宇宙船とするものである。これは当初ソビエトの主任設計者である飛行を見ることなく他界したセルゲイ・コロリョフの下で文官が設計したものだった。いくつかの軍用の派生型は実際にソビエト連邦の設計業務において最優先のものとなったが、実用化には至らなかった。 また、ソユーズ宇宙船に搭乗する宇宙飛行士は、ソコル宇宙服を着用する。 ソユーズ宇宙船は3つの部分から構成される(前から後の順に説明): 楕円状のオービタル・モジュール 少し空力的な再突入モジュール 円筒形のサービスモジュールには太陽電池パネルが付いている ソユーズ宇宙船には複数の派生型がある: ソユーズ A 7K-9K-11K circumlunar complex proposal(1963年) ソユーズ 7K-OK(1967年 - 1971年)ソユーズ 7K-L1 Zond(1967 - 1970年) ソユーズ 7K-L3 LOK ソユーズ 7K-OKS(1971年)ソユーズ 7K-T or "ferry"(1973年 - 1981年) ソユーズ 7K-TM(1975年 - 1976年) 軍事用ソユーズ (7K-P, 7K-PPK, R, 7K-VI Zvezda, OIS) ソユーズ-T(1976 - 1986年) ソユーズ-TM(1986年 - 2003年) ソユーズ-TMA(2003年 - 2012年) ソユーズ-TMA-M(2010年 - ....) ソユーズ-ACTS(2012年/....)
※この「ソユーズ宇宙船」の解説は、「ソユーズ計画」の解説の一部です。
「ソユーズ宇宙船」を含む「ソユーズ計画」の記事については、「ソユーズ計画」の概要を参照ください。
「ソユーズ宇宙船」の例文・使い方・用例・文例
- ソユーズ宇宙船は日本時間の6月2日午前9時ごろにISSから分離した。
- 古川さんと他の2人の宇宙飛行士が乗ったロシアのソユーズ宇宙船は,6月8日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地を飛び立った。
- ソユーズ宇宙船は6月10日に国際宇宙ステーション(ISS)とのドッキングに成功した。
- 3人の宇宙飛行士を乗せたソユーズ宇宙船のカプセルはカザフスタンの雪に覆われた平原に無事着陸した。
- 星(ほし)出(で)彰(あき)彦(ひこ)さん(43)と他の2人の宇宙飛行士を乗せたロシアのソユーズ宇宙船が7月15日,カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から国際宇宙ステーション(ISS)へ向けて打ち上げられた。
- 若(わか)田(た)光(こう)一(いち)さんと2人の同僚宇宙飛行士は,11月7日,ソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーション(ISS)に到着した。
- トーチはその後ソユーズ宇宙船で地球に戻された。
- 大西さんとあと2人の乗組員,ロシアのアナトーリ・イヴァニシンさんと米国のケイト・ルビンズさんは,ロシアのソユーズ宇宙船でカザフスタン中部の大草原地帯に着陸した。
- ソユーズ宇宙船のページへのリンク