近鉄百貨店 過去に存在した店舗

近鉄百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 01:11 UTC 版)

過去に存在した店舗

近鉄百貨店をもともと経営していた近畿日本鉄道やそのグループ企業が各地に展開しており、近鉄百貨店自身も近鉄沿線に加えて東京(武蔵野市吉祥寺)や九州でも営業していた時期もあった。これとは別に丸物・京都近鉄百貨店も京都店を本店として東は東京(池袋)、西は九州(八幡)まで店舗を広げていた。ほとんどの店舗が2010年代前半までに整理されており、近鉄沿線以外に立地する近鉄百貨店は和歌山店と草津店のみとなっている[注 12]

東京店

近鉄百貨店東京店
Kintetsu Department Store Tokyo
閉店後、吉祥寺三越・IDC大塚家具として営業していた2001年9月に撮影
店舗概要
所在地 東京都武蔵野市吉祥寺本町一丁目19-1
開業日 1974年(昭和49年)5月11日
閉業日 2001年(平成13年)2月20日
施設所有者 株式会社近鉄百貨店
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 19,912[30] m²
前身 東京近鉄百貨店
後身 三越吉祥寺店・大塚家具吉祥寺店

ヨドバシ吉祥寺
最寄駅 吉祥寺駅
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1974年(昭和49年)5月11日、近鉄流通グループの首都圏1号店として、東京近鉄百貨店が開業した。関東地方唯一の近鉄百貨店として近畿地方出身者などに親しまれており、吉祥寺に立地するため、吉祥寺近鉄とも呼ばれていた。

吉祥寺駅周辺は、1955年開店の緑屋吉祥寺店[注 13]1971年11月10日開店の伊勢丹吉祥寺店2010年3月14日閉店→現在のコピス吉祥寺)が立地し、当店開業の1か月後の6月20日には吉祥寺名店会館の跡地に東急百貨店吉祥寺店(テナントビル化を図って現存)が開店するほか、小規模な商店も多数立地する商業激戦区だった。

建物は文教都市の武蔵野市にふさわしく、シックな色調を取り入れた。工業デザイナーの泉真也がデザインしたアーチ、1階広場中央には小畠廣志制作のブロンド像「ユニコーン」、8階から屋上への吹き抜けのガラスドームの小鳥の楽園が設けられた。屋上は富士山が遠望でき、緑で埋め尽くされた屋上公園、木々に囲まれた流れる滝、アトラクション会場の「森の劇場」などを設置した。このように店舗全体にアミューズメント要素を持たせ、ファミリー層が楽しめる施設を目指した。

運営は1972年(昭和47年)4月5日に近鉄グループと三越が共同出資で設立し、岡田茂 (三越)など三越側も役員に名を連ねる株式会社東京近鉄百貨店が行っていた。しかし、開業当初の業績不振から、1976年(昭和51年)4月には三越からの出資や役員は引き上げて大衆化を図り[31]、債務超過を解消するために資本金を4億円から8億円に増資した。1977年(昭和52年)3月には資本金を16億円とさらに増資し、1・2・3階の大規模な改装を行い、32のショップを設けた[32]。その後、残りの階も改装し、8階には劇場も設けた。1982年2月期に経常黒字に転換したこともあり、1983年に直営化して近鉄百貨店東京店に改称している。

しかし、実際の来店客は中高年層に偏っていた。来店客層の若返りを促すため、1987年末から20代~30代の未婚女性を狙った改装を行い[33]、地下1階から地上7階の各階に新ブランドを導入した。

1990年代に赤字転落して以降も、比較的若い世代を狙った改装を行った。しかし、1996年(平成8年)に新宿貨物駅跡地(渋谷区)にタカシマヤタイムズスクエア髙島屋新宿店)が開業したため業績がさらに悪化した。情報拠点として赤字でも残す方針だったが、京都近鉄百貨店との合併による上場後は赤字店が維持できないとして、社内での激論の末、2001年(平成13年)2月20日の閉鎖に至った。当時の社長・田中太郎によると、マーケットを見誤って中型店となってしまい、(最後に残る東急百貨店吉祥寺店のような)30000平方メートルを上回る大型店ではなかったことも要因とされる[34]。また、当店の裏は風俗店などが立地する近鉄裏として一時有名だったが、地元住民は図書館の誘致などを行って、拡大に歯止めをかけた[35]

閉鎖後は当社から三越(地下1階 - 地上2階)とIDC大塚家具(地上3階以上)に貸していたものの、投資ファンドへ建物を売却して閉店した。2007年6月に外観を改装したうえでヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺が出店している。

開業時のフロア構成

フロア概要[36]
屋上 森の劇場と小鳥の楽園
8階 味の名流食堂街
7階 実用品と催し物のフロア
6階 リビングフロア
5階 リビングファッションとレジャーのフロア
4階 きものと子供服のフロア
3階 レディスファッションフロア
2階 ヤングファッションフロア
1階 ファンシーフロア
地階 フードフロア
地下2階 森の駐車場
地下3階

西京都店

近鉄百貨店西京都店
Kintetsu Department Store Nishi-Kyoto
店舗概要
所在地 京都府京都市右京区山ノ内池尻町1番地1号
開業日 1982年(昭和57年)11月15日
閉業日 1995年平成7年)2月28日
施設所有者 株式会社ダイヤモンドファミリー
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
商業施設面積 5,100 m²
後身 京都ファミリー専門店街
最寄駅 西院駅山ノ内駅
最寄IC 京都南IC(当時)
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京都市右京区の西院エリアで、「ダイヤモンドファミリー」の「ならファミリー」に続く2号店の京都ファミリー1982年(昭和57年)11月15日に開業した。ジャスコ京都西店と並ぶ核店舗であり、オープン当初は食料品や日用品を中心に売り上げを伸ばした。 1990年代に入ると消費不況に陥ったうえに、ジェイアール京都伊勢丹の開業を1997年(平成9年)に控え、大丸や髙島屋の京都店、京都近鉄百貨店京都店(当時)が増床するなど京都市内の百貨店間の競争が激しくなり、1994年2月期の売り上げは50億円と前年割れするなど当店は業績不振に陥り、閉店することになった。1995年平成7年)3月に予定していた京都近鉄百貨店京都店の増床オープンに先立ち、同年2月28日に閉店。社員60人はほかの店舗へ転勤している[37]

桜井店

奈良県桜井市桜井駅前の拠点施設「エルト桜井」が1991年(平成3年)にオープンした当初、その1・2階に展開していた[38]。地元の反対で食料品売場が設けられなかったうえ、商圏が狭い[注 14]ことも手伝い、1994年(平成6年)にわずか3年で撤退した。短命の小型店舗である。

別府店

大分県別府市。1960年 - 1994年。別府駅前にあった。トキハ別府店開業後に経営不振のため、直営化するも、閉店。2001年に建物解体、土地は2005年に県内の不動産会社に売却された。

上海店

ショッピングモール「上海商場」にテナントとして出店した小型店。

桃山店

MOMO
店舗概要
所在地 京都市伏見区桃山町山ノ下32
開業日 1996年11月26日
閉業日 2014年9月30日
施設所有者 三井住友信託銀行
施設管理者 株式会社近鉄百貨店
延床面積 96,157.84 m²
商業施設面積 30,334 m²
中核店舗 近鉄百貨店桃山店
後身 MOMOテラス
最寄駅 六地蔵駅
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近鉄百貨店の運営するショッピングモール「MOMO」の開業に合わせ、核店舗として開業した。しかし、京都本店増床を行っていた京都近鉄のほか、近鉄百貨店も桃山出店のため出店の余裕はないと草津出店を一度断念したものの[39]、草津店と異なり、当店は一度も黒字転換できず、閉店に至った。閉店後は住友商事が取得し、奈良店の入居する「ならファミリー」と同じ住商アーバン開発の運営する商業施設「MOMOテラス」となっている。

なお、西京都店同様、京都市内にありながら丸物・京都近鉄百貨店の開業した店舗ではない。しかし、京都店閉店からしばらくの間、同店顧客へのアフターサービスを行っていた。本店舗の閉店により京都府から近鉄百貨店の店舗および電鉄系百貨店の店舗が消滅した[注 15]

ショップ桔梗が丘

2012年2月末までは旧桔梗が丘店(売場面積11,706 m2)だった。近商ストア桔梗が丘店を百貨店化し、周囲のスーパーとの差別化を図った。しかし、売り上げが伸び悩んだため、2012年3月3日に直営売場面積を縮小・業態転換して新装開店した。この際、橿原店の管轄になるなどコスト削減を図ったものの、赤字転落し、ともに入居していた近商ハーベスと同時に2018年3月31日に閉店した。

跡地は「ぎゅーとら」桔梗が丘店などがオープンしたが、2020年10月31日に閉店して「近鉄プラザ桔梗が丘」自体が空き店舗となった。

丸物関連

近鉄百貨店の直営店となったのは京都店と枚方店のみ。岐阜店は京都近鉄百貨店時代の1999年(平成11年)に、ほかの各店は丸物時代に閉鎖・売却されている。

京都店

業態転換後の「プラッツ近鉄」

京都駅烏丸口、京都タワー北側に立地していた。丸物が「京都物産館」として創業した地であり、近畿日本鉄道の出資、1977年(昭和52年)の「京都近鉄百貨店」への商号変更・リブランドを経て、2001年(平成13年)2月28日付で近鉄百貨店の支店となった。

京都駅前地下街ポルタ京都アバンティの開業に対して、改装を行って若年層を当店へ呼び戻した。ジェイアール京都伊勢丹の開業への対策としては、西側への増床で営業面積を1.7倍にして、1995年(平成7年)3月4日にリニューアルオープンした。この際には市内中心部へも商圏が広がり、1996年(平成8年)2月期には年商470億円を記録した。

しかし、ジェイアール京都伊勢丹開業で京都駅の求心力が上がったにもかかわらず、当店の売り上げは急減。2000年(平成12年)3月25日には複合商業施設「プラッツ近鉄」として世界最大の無印良品など多数のテナントを誘致して業態転換を図った。一時は来店客数や売上高の回復につながったが、毎年2ケタ台の売り上げ減少を記録。2005年(平成17年)2月期の売上高は254億円にまで転落し、1994年から続いた営業赤字の累積額が約130億円に積み上がった。このため、当店は2007年(平成19年)2月28日に閉店し、京都物産館以来87年間の歴史に幕を閉じた。

その後、ヨドバシカメラ2010年(平成22年)11月5日に、当店の跡地へ複合商業施設「ヨドバシカメラマルチメディア京都」をオープンしている。

なお、ギフトショップを京都府・滋賀県各地に展開していた。#ギフトショップの項目を参考のこと。

岐阜店

1950年代の様子

京都近鉄百貨店岐阜店が正式名称だが、多くの場合は岐阜近鉄百貨店と呼ばれていた。近鉄百貨店の直営店として営業したことはない。

京都物産館岐阜支店として開業した丸物最初の支店であり、数少ない本体直営の店舗だった。また、京都の本店と同様、京都物産館から「丸物」への改称を経て「京都近鉄百貨店」への改称までずっと営業を続けていた。

長年、岐阜最大の繁華街である柳ヶ瀬の中核店舗として親しまれたが、柳ヶ瀬西部の再開発で1977年(昭和52年)9月岐阜髙島屋が進出して競争が激化した。当店は同年に京都近鉄百貨店岐阜店と改称し、専門店街「近鉄アミコ」を柳ヶ瀬ビル(現在のオアシス柳ヶ瀬ビル)へ建設するなど対抗策を講じると、1991年(平成3年)には売上高のピークを迎えた。しかし、既にこの前年の1990年(平成2年)2月期にはアピタジャスコなどの郊外進出に伴って赤字転落。1999年(平成11年)3月期には年商110億7900万円にまで売上が低下し、岐阜駅前への移転構想も実現せずに1999年9月30日に閉店に追い込まれた。その後も、パルコ、名鉄グループの新岐阜百貨店メルサといった大型店舗の多くが撤退し、当店周辺を走っていた路面電車名鉄岐阜市内線美濃町線2005年(平成17年)4月1日付で廃止されるなど、岐阜市内中心部の空洞化が進行している。

解体された当店の壁面から1945年(昭和20年)の岐阜空襲による煤けた跡が見つかり、その部分を岐阜市平和資料室で保存している。

枚方店

閉店セール中の枚方店

枚方市岡東町。京阪本線枚方市駅前。1975年(昭和50年)4月1日開業 - 2012年2月29日閉店。 近鉄百貨店、丸物と近畿日本鉄道の共同出資で会社が設立されている[40]。近鉄傘下となってから唯一開業した丸物の店舗で、最後の新店舗でもある。当初から近鉄色が強かったが、開業から2年足らずで「ひらかた丸物」から「枚方近鉄百貨店」に改称した。このため、丸物の名称を使用した期間は一番短い店舗となった。跡地はカルチュア・コンビニエンス・クラブにより「枚方T-SITE」として再開発[41]

近鉄百貨店にならなかった店舗

東京(池袋)、豊橋、八幡については近畿日本鉄道が丸物に出資した1966年(昭和41年)4月以降に順次閉鎖、近鉄グループ外部への売却を行った。多くの店舗がそごうなどのように別法人であった。

そのほか名古屋・栄にあった「丸栄」、中林仁一郎の弟・谷政二郎が設立した静岡県浜松市の「松菱」、谷政二郎が引き継いだ三重県津市の「津松菱[注 16]といった百貨店も丸物の系列店として扱われていた。なお、津松菱の前身の大門百貨店は近鉄百貨店(近畿日本鉄道百貨店部)に救済を要請したことがある。

商業施設


注釈

  1. ^ 当社はりそな銀行とも取引はあるが、京都近鉄百貨店のメインバンクは三和銀行、旧近鉄百貨店のメインバンクは三菱銀行だった。いずれも現在の三菱UFJ銀行
  2. ^ 岐阜店は「岐阜近鉄百貨店」など、「京都」を含まない呼び名が多用された
  3. ^ 1996年にパリ16区の本体は後継者不在のため店を閉じた。一方近鉄百貨店ではグループの他店にも展開したが、2020年8月には当社東大阪店にあった店舗が閉店したので「コクラン・エネ」は日本でも完全に消滅した。
  4. ^ 京都近鉄百貨店などグループ店にも導入した。
  5. ^ 2011年8月25日に正式名称が決定。仮称は「阿部野橋ターミナルビル・タワー館」。
  6. ^ 「あべのハルカス」全体のグランドオープンは同年3月7日となった。
  7. ^ 和歌山近鉄百貨店時代から続くコーナー
  8. ^ 近鉄大阪線の多くや近鉄山田線などを当時運営していた大軌の子会社
  9. ^ 近畿日本鉄道の発足当時、既に近江鉄道の通称が「近鉄」(おうてつ/きんてつ)だったことから、「近畿日本」ないし「日本鉄道」を公式略称としていた。
  10. ^ これは公式的に「近鉄」の略称を用いた初期の事例である
  11. ^ 三越が営業権を継承し、同年6月より吉祥寺三越および大塚家具として営業開始したが、2006年5月で両店撤退。2007年6月29日にヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺がオープン
  12. ^ 最寄り駅に近鉄が乗り入れている店舗でも桜井店、京都店、桔梗が丘店→ショップ桔梗が丘は閉店している。
  13. ^ 1980年に閉店後、西武スポーツを経て、現在は吉祥寺Loft
  14. ^ 1986年開業の橿原店が、近鉄大阪線の急行で桜井駅からわずか4分の大和八木駅前にある。
  15. ^ 同店閉店の4年前の2010年には四条河原町阪急が閉店したため。
  16. ^ 「松菱」閉店後は単に「松菱百貨店」「松菱」を名乗ることが多い
  17. ^ 同百貨店の東京店は、バファローズ優勝時に関東地区でほぼ唯一の優勝セール実施店舗となっていた。また、学生時代からバファローズファンだった佐野正幸は同店(当時は東京近鉄百貨店)に就職後、バファローズ私設応援団長となり、会社側の理解も得て、関東地方をはじめとした各地の球場で応援活動を続けていた。
  18. ^ 2017年現在、近畿地区には「ジェイアール西日本伊勢丹」の2店(ジェイアール京都伊勢丹・ルクア1100内のイセタンショップ)のみであるが、後者はJR大阪三越伊勢丹時代も巨人優勝セールの実施はない
  19. ^ 阪神電気鉄道直系である阪神百貨店と、阪神電鉄・阪神球団から許諾を得た大丸ダイエー甲子園店など関西圏の一部店舗。南海の買収による球団競合時代も許諾を得て継続)は「タイガース優勝セール」と表現できていたが、それ以外は阪神電鉄・阪神球団の許諾を得られず、直接に「タイガース優勝セール」とは表現できず、「大阪バンザイセール」などの名称で実施していた。なお、大丸と経営統合した松坂屋は、愛知県発祥のため中日ドラゴンズの応援セールを開催。
  20. ^ 食品売場には使用可能な電子マネーの掲示があり、「電子マネーの使用でKIPSポイントが溜まります」と表示されていた。

出典

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  9. ^ a b c d 業務組織の改正、役員担当業務の変更および人事異動のお知らせ - 株式会社近鉄百貨店(2021年5月28日)
  10. ^ https://www.d-kintetsu.co.jp/corporate/pdf/20230525000677.pdf
  11. ^ a b 近鉄百貨店各店で大阪・関西万博公式ライセンスグッズを期間限定で販売します ~10月6日(水)から上本町店、奈良店、橿原店、和歌山店、四日市店でも販売スタート~ - 株式会社近鉄百貨店(2021年10月5日)
  12. ^ 近鉄百貨店、衣料品売り場3割減 あべのハルカス改装 - 日本経済新聞(2021年9月16日)
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  57. ^ 6月13日(木)、近鉄百貨店の包装紙および制服を一新” (PDF). 近鉄百貨店 (2013年5月23日). 2021年10月20日閲覧。
  58. ^ https://web.archive.org/web/20070808025136/http://www.d-kintetsu.co.jp/abenonews/kcc/kcc.html






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